宗教・スピリチュアルとの親和性
あえて乱暴な言い方をすれば、人の不幸に群がるのが宗教です。重大事件が起きると、あらゆる宗教者が自宅にやってきたと、加害者家族が証言することがあります。
「お金は汚いものだから家族を不幸にする。すべて寄付しなさい」
と言われ、財産をすべて宗教団体に寄付した家族もいます。
確かに、子どもが引きこもるというのは、家にある程度の財産があるからこそ可能であり、生活費が底をつけば家から出ていくしかありません。
家族がお金を払うことによって解決する問題は、確かにあります。しかし、家族が問題と向き合いさえすれば、宗教の力を借りなくとも解決は可能なのです。
ところがプライドの高い人たちは、問題と向き合う、つまり自分の非を認めるということがなかなかできません。それゆえ、宗教やスピリチュアルという、原因追究をしない曖昧な世界に逃げ込みたくなるのでしょう。
富裕層にはエリートも多く存在します。2023年7月、北海道札幌市中央区の繁華街「すすきの」のホテルにて、首が切断された男性の遺体が発見されました。殺人と死体遺棄などの容疑で逮捕されたのは当時20代の女性で、その父親と母親も逮捕されるという前代未聞の猟奇殺人です。
家庭で両親は娘を「お嬢さん」と呼び隷従させられ、娘は父親を相手にSMプレイを行うなど、厳格な医師の家庭からは想像もつかない倒錯した家族に注目が集まりました。
主犯の女性の父親は精神科医です。本来、問題を起こしそうな人に対し歯止めをかけるべき立場の人間が、子どもの犯行に加担したことを責める論調も数多くありました。
実は本件同様に、家庭に問題を抱えている医師たちは数多く存在します。他人に対しては理性的であっても、家族のことになれば冷静さを失うのが普通の人間です。
しかし社会的地位の高い人たちほど、困りごとが生じた時に他人に頼る発想がありません。それゆえ問題を拗らせ、いつの間にか制御できない状況に追い込まれてしまうのです。
医師や弁護士は家庭の悩みを同業者には知られたくないという人も多いことから、宗教やスピリチュアルの世界が居場所になることもあります。悪い人々は、富裕層の弱点にうまくつけ込み、あの手この手で搾取していくのです。
稼がない生き方
内閣府の調査によると、日本の引きこもり人口は15歳から64歳まで推計146万人。80代の親が50代の子を支える「八〇五〇問題」も深刻化しているといわれています。
私は拙著『高学歴難民』で、博士課程や専門職大学院で学位を取得したにもかかわらず、就職できずに社会を彷徨う人々を取材しました。
明治時代から昭和初期にかけて、高等教育機関を卒業しながら経済的に困らないことから就職せず、自由な生活を送る人々は「高等遊民」と呼ばれていました。
私は「高等遊民」と「高学歴難民」を明確に区別しています。前者は経済的に余裕がありますが、後者は困窮に近い状態です。第1章の高橋葵や第2章の花山隆史は「高学歴難民」というより「高等遊民」です。働いてはいませんが、生活には困っていません。
それでも花山隆史の妹は働かない兄を恥と考え、婚約者との結婚も兄によって破談になりました。実際、ニート・引きこもりと呼ばれる人々の中には、花山のように生活に困らない人々も存在しています。
では、家族が何に困っているのかといえば、世間体です。特に、働かない男性に対して世間は厳しい目を向けます。時には、犯罪者予備軍のような扱いさえ受けることもあるのです。
一方、現在は共働き家庭が主流となっていますが、少し前まで専業主婦は当たり前で、子どもが問題を起こせば、働いている母親が責められることもありました。未婚の女性については「家事手伝い」という肩書もまかり通っていましたが、男性には通用しません。
第5章の鈴木悦子の夫も働いていないわけではないのですが、妻の手伝いをするアルバイトという身分であることから、劣等感に苛まれ、犯罪に手を染めました。
これからの時代、稼がない男性を「男のくせに」と否定せず、「専業主夫」という生き方も認められるべきだと私は考えています。

