国宝《風神雷神図屏風》を描いた俵屋宗達の美の革新

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風神雷神図屏風(俵屋宗達、建仁寺蔵)風神雷神図屏風(俵屋宗達、建仁寺蔵)

1. 町絵師から"芸術家"へ──宗達が変えた絵師のかたち

宗達の生没年は不明。弟子や師の名もはっきりしておらず、作品にも制作年の記載はほとんどありません。そのため、彼の人生は今も謎に包まれています。ただひとつ確かなのは、17世紀初頭の京都で活躍した絵師だったということ。

当時の京都は、政治の中心を江戸に譲ったあとも、文化の都として栄えていました。裕福な町人たちは、屏風や扇、書画を求め、街には「絵屋(えや)」と呼ばれる店が軒を連ねていました。宗達もそのひとり。屋号「俵屋」を掲げ、紙や扇に絵を施して販売していました。つまり、もともとは職人として出発した人だったのです。

転機は、書家で芸術家の本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)との出会いでした。光悦は、書・陶芸・漆芸・デザインなど多方面で才能を発揮し、天皇から土地を賜って「芸術村」を築いた文化人の中心的存在です。宗達は、光悦の依頼で厳島神社の国宝《平家納経》の修復を担当し、その見事な技術を認められます。

平家納経 平清盛願文見返絵平家納経 平清盛願文見返絵, Public domain, via Wikimedia Commons.

その後、光悦の書と宗達の絵が一体となった《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》など、多くの共作が生まれました。書と絵が響き合う斬新な作品群は、京都の文化人たちを驚かせます。

鶴図下絵和歌巻(部分)(下絵・宗達、書・本阿弥光悦)(京都国立博物館)(重要文化財), Public domain, via Wikimedia Commons.鶴図下絵和歌巻(部分)(下絵・宗達、書・本阿弥光悦)(京都国立博物館)(重要文化財), Public domain, via Wikimedia Commons.

俵屋宗達下絵・本阿弥光悦書《四季草花下絵古今集和歌巻》17世紀初め、畠山記念館俵屋宗達下絵・本阿弥光悦書《四季草花下絵古今集和歌巻》17世紀初め、畠山記念館, Public domain, via Wikimedia Commons.

1630年頃、宗達は後水尾天皇(ごみずのおてんのう)から法橋(ほっきょう)という僧侶位を授与されました。町人でありながら天皇に認められたのは、異例のこと。それは、彼が単なる絵職人を超え、「芸術家」として評価された瞬間でした。宗達は、社会的身分を超えて美を創る表現者としての地位を確立したのです。

2. 金と墨の融合──装飾と精神をひとつにした画面構成

宗達の革新は、金と墨という対極の素材を、ひとつの画面に共存させたことにあります。

桃山時代の豪華さを受け継いだ金地の装飾画は、権威や華やかさを象徴しました。一方、墨一色で描かれる水墨画は、禅的な静謐と精神性を象徴します。宗達はその両方を自在に操り、きらびやかな金の上に墨のにじみを生かす──まるで光と影がひとつの呼吸をするような世界を生み出したのです。

たとえば《伊勢物語図屏風》では、金箔を敷き詰めた空間に、川の流れや樹木を墨の濃淡で軽やかに描き込み、物語性と抽象性を両立させています。構図は大胆に切り取り、画面には大きな余白。それが見る者の想像力を呼び起こします。

宗達の筆は、物語を描くだけでなく、「空間をデザインする」発想を持っていました。この感覚は、のちに日本のデザイン美学へとつながる「琳派(りんぱ)」の原点になります。

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