3. 《蓮池水禽図》──沈黙の中にある生命
墨一色で描かれた蓮と二羽のかいつぶり。京都国立博物館所蔵の《蓮池水禽図》は、宗達の水墨画の最高傑作と称されています。制作は1615〜1620年頃と推定され、宗達が壮年期にあった時期のものです。
蓮池水禽図(京都国立博物館蔵), Public domain, via Wikimedia Commons.
輪郭線を使わず、墨のにじみと濃淡だけで蓮の茎や水面を浮かび上がらせる。にじみの中にある呼吸のようなリズム──静かな画面からは、水や風、生命の気配がゆるやかに立ちのぼります。
宗達は、金箔の屏風に神々を描くだけでなく、このように墨のわずかな濃淡だけで自然の本質を掴み取ることができました。華やかさと静けさ、動と静──その両極を往来できることこそ、宗達の真の才能だったのです。
後世の酒井抱一(さかい ほういつ)は、この作品を見て「宗達中絶品也(宗達の中でも絶品なり)」と称えました。抱一は江戸後期の画家で、尾形光琳を敬愛し、琳派を再興した人物。大名家の出身ながら、芸術に生きた彼が宗達を"理想の画家"と仰いだことからも、この一幅の持つ力がうかがえます。
このように、宗達は壮年期の段階ですでに「静」を極めていました。その後、晩年になると、まったく別の方向──激しい「動」の世界──へ挑みます。それが《風神雷神図屏風》です。
4. 《風神雷神図屏風》──空間をデザインするという発明
宗達の名を決定づけたのが、晩年の代表作《風神雷神図屏風》。制作は1630年代後半と考えられています。現在は京都・建仁寺に伝わり、京都国立博物館に寄託されています。建仁寺では精巧なレプリカが見られます。
風神雷神図屏風(俵屋宗達、建仁寺蔵), Public domain, via Wikimedia Commons.
画面右に風袋を背負った風神、左に太鼓を構える雷神。互いに向き合い、金地の上で風と雷をぶつけ合う──その構図は力強く、同時にどこかユーモラスです。筋肉の表現はデフォルメされ、表情には親しみさえ感じられます。神を"恐れ"の対象ではなく、"生きた存在"として描いた点も革新的でした。
特筆すべきは、中央の大胆な空白です。従来の屏風絵では、物語を隙間なく埋めるのが常識でした。しかし宗達は、あえて何も描かずに風を通した。この「余白」こそが、風の流れや音の振動を感じさせる装置となっています。彼は、「空気を描く」ことに成功したのです。
また、雲の表現には宗達が考案した「たらしこみ」が使われています。濡れた絵の具の上に別の色を垂らし、自然な滲みで陰影を作る技法。偶然のにじみを美へと昇華するその感性は、のちに尾形光琳、酒井抱一ら琳派の絵師たちに受け継がれました。
金地の平面の上に、たらしこみの陰影が揺らめき、平面と立体、静と動が交錯する──それは、まさに「構図のデザインによる革新」でした。
壮年期の《蓮池水禽図》で宗達が示したのは、ほとんど音のしない世界に宿る静かな呼吸でした。晩年の《風神雷神図屏風》で宗達が描いたのは、風そのもの、雷そのもののエネルギーでした。
静と動。その両極が、ひとりの絵師の中に並んでいることこそ、宗達という存在の規格外さなのです。
