5. 琳派への継承──光琳から抱一へ、日本美の系
宗達が《風神雷神図屏風》を描いてから、およそ半世紀後。その構図に魅せられ、模写によって対話を試みたのが、尾形光琳(1658–1716)でした。
風神雷神図屏風(尾形光琳、東京国立博物館蔵), Public domain, via Wikimedia Commons.
光琳は宗達の《風神雷神図屏風》を模写し、その裏面に《白象唐子遊図屏風》を描きました。これは単なる複製ではなく、宗達への敬意と対話の証です。彼は、宗達が生み出した「構図の余白」と「たらしこみの技法」を受け継ぎ、より洗練された装飾美として発展させました。
その後、江戸後期になると酒井抱一(1761–1828)が登場します。光琳を師と仰ぎ、自らも尾形光琳が模写した《風神雷神図》を模写。彼は「琳派」という流れを体系化し、宗達の美を再発見したのです。
風神雷神図(酒井抱一、出光美術館蔵), Public domain, via Wikimedia Commons.
琳派の特徴は、自然や季節のモチーフを、デザイン性の高い構図と鮮やかな色彩で表すこと。宗達の"描かない美"──余白の感覚、たらしこみのにじみ、金地の輝き──それらすべてが、光琳と抱一の手で新たな時代に息づいていきました。
6. まとめ:「見る」をデザインした人──俵屋宗達
俵屋宗達が変えたのは、絵のスタイルだけではありません。彼は、「見る」という体験そのものを変えたのです。
彼の絵では、描かれていない空間が語り、余白が呼吸し、にじみが生きています。宗達は、ものの形ではなく、その"間(ま)"に流れる気配を描いた画家でした。だからこそ、彼の作品は400年を経た今もなお、新しく、現代的に感じられるのでしょう。
日本のデザインや建築に息づく「間」の美学も、その源流をたどれば宗達に行きつきます。形ではなく空気を描き、絵ではなく見る体験をデザインした人──。その革新こそが、「日本的モダニズムの始まり」と呼ばれる所以です。
