筆者の話です。
父が亡くなったとき、葬儀の準備や連絡など想像以上に決めごとが多く、悲しみの中で何度も家族会議を重ねました。
その経験を経て「エンディングノートは残される人へのやさしさなのかもしれない」と感じた出来事です。
突然の別れと、押し寄せる現実
父の容態が急変したと連絡があったのは深夜。
すぐに病院に駆けつけましたが、1時間後に亡くなりました。
涙が止まらないまま、葬儀社との打ち合わせや親戚への連絡など、次々と「決めなければならないこと」が押し寄せてきます。
悲しみに浸る間もなく、目の前の手続きに追われる日々の始まりでした。
わからないことだらけの葬儀準備
「祭壇はどんな形にする?」「葬儀はいつにする?」「葬儀には誰を呼べばいい?」
せめて葬儀は父の望む形で見送りたい。
父が会いたいと思っていた人にお別れをしてほしい。
そう思っても「こうしてほしい」という父の意向をもう聞くことは叶いません。
家族で何度も話し合いを重ねるたびに、悲しみと迷いが胸の奥で絡まりました。
生前に「葬儀はこうしてほしい」という相談なんて、死を待っているようで、話題に出すことすらためらっていたのです。
父の気持ちを確認していなかったことを悔やまずにはいられませんでした。

