覚醒剤事件が突きつけた、家族の努力と崩壊
あるとき、覚醒剤使用事件の裁判を担当した。
被告人の男性は当時、覚醒剤使用事件で裁判を受け、執行猶予付きの判決を受けている身だった。
しかし、執行猶予期間中でありながら、再び覚醒剤に手を出して逮捕、起訴されたのだった。
覚醒剤など依存性、常習性のある薬物使用事件の再犯率は高い。
この再犯の男性も、執行猶予期間が満了する一か月くらい前に、売人から覚醒剤を入手して使ってしまったというのだ。
前回の裁判では、母親が情状証人として証言し、二度と息子が覚醒剤に手を出さないように指導・監督していくと覚悟の証言をしていた。
その母親が、今回も弁護人申請の情状証人として法廷で証言した。
母親の証言によれば、判決後、被告人は釈放されて自宅に戻った。
親子二人暮らしの中で、息子が覚醒剤に再び手を出していないか、母親は毎日のように会話をしたり、不審者と連絡を取っていないか、携帯電話のチェックまでしていたという。
仕事に出ても、母親は職場から定期的に息子の携帯電話に連絡を入れ、不用意に出歩いたり覚醒剤に手を出していないか、用心深く確認を怠らなかった。
さらに、母親は、薬物依存症と再発防止に関する本を何冊も買って読んでは、自助グループに息子とともに参加し、再犯防止に努めてきた。
しかし、息子は、再び薬物に手を出したのだ。驚いた母親は自分から警察と救急車に電話で救助を求めたのだった。
二度目の法廷に立たされた母親が、それでも愛する息子のために切々と涙を流しながら証言したその姿は、胸に迫るものがあった。

なぜ、息子はまた、覚醒剤に手を出したのか?
母親は、「やれることはすべてやり尽くしてきたのに」と自分で自分を責めた。
そして、もはや息子の実刑は覚悟しているのか、母親としては今後も息子を見捨てることなく、二度と同じような事件を起こさないように指導・監督していく決意と覚悟を証言した。
母親としたら、執行猶予の期間が切れるまで、息子のために必死にできる限りのことをして頑張ろうとの思いがあった。
しかし、息子は愚かにも母親の思いを無下にする。
「母に申し訳ないと思いながら、どうしてもまた覚醒剤を使いたくなり、手を出してしまった」
覚醒剤の魔力に負けたことで、母親のこれまでの努力を、息子はぶち壊してしまったのだ。
息子のために粉骨砕身してきた母親の思いは、息子にはついに届かなかった。その無念の思いと悔しさと、まさに刀折れ矢尽きた母親の姿。その母親の言葉は一言一句、息子の胸を突き刺したように見えた。
その声を間近で聴いていた息子は、被告人席で、終始、うなだれて涙を流していた。私も、検事席にいながらにして、思わず胸にこみ上げるものがあった。
母親の息子に対する限りない無償の愛。
家族は、どんなときでも家族なのである。
我が子を拒絶する家族――もう一つの現実
他方、我が子が罪を犯したとき、母親をはじめ家族が拒絶するタイプがある。
我が子を受け入れるタイプとは真逆のパターンだ。
我が子が罪を犯したとき、それが殺人事件などではなく窃盗や暴力事件などであったとしても、家族が親子関係を断ち切るケースがある。殺人事件なら言わずもがなである。
それが現実なのである。
並々ならぬ覚悟と決意があってのことだろうが、要は家族を守るために子どもを拒絶するのである。
事件のために、職場に知られてしまって仕事や昇進に支障が出たら困る、息子の兄弟の学校生活に影響が出るのは避けたい、マスコミ報道で職場や近所から白い目で見られて耐えられない、親としてこんな罪を犯すような教育をした覚えはないなど、理由は様々で複合的である。
子どももまた、被告人となって法廷に立たされたとき初めて、親が自分を半永久的、絶対的かつ無条件に受け入れ、守ってくれる存在ではないことに気づく。しかし、時すでに遅しなのである。子どもは、精神的、物理的にも親から自立すべきであること、それができて初めて家族の一員として迎えられるのだということを思い知らされるのだ。
殺人など重大事件の被告人となった子どもは、もはや二度と引き返せない道に入り込んでしまっている。刑事被告人となった彼の先に待っているのは、これまでのような温かい家族の庇護ではなく、社会から隔絶された特別な場所、長い時間をかけて罪を償う牢獄なのである。

