ジョン・コリアという画家──道徳と欲望のはざまで
ジョン・コリア(1850–1934)は、法曹・政治の世界に身を置く名門家庭に生まれ、同時に画家・作家としても活動した人物です。
マリアン・ハクスリー《ジョン・コリアの肖像》1882年-1883年, Collier, Marian - Portrait of John Collier - circa 1882-1883.jpg, Public domain, via Wikimedia Commons.
彼が生きたヴィクトリア朝後期のイギリスは、「道徳の国」と言われるほど性や裸体の表現に厳しい一方で、
神話や伝説を題材にした“高尚な裸”は、美術の世界で盛んに描かれていました。
コリアもまた、女魔術師サーキュなど、強い意志や危うさを秘めた女性像を繰り返し描いています。
ジョン・コリア《キルケ》1885年, CIRCE、John Collier 1885 - Ger Eenens Collection The NetherlandsFXD.jpg, Public domain, via Wikimedia Commons.
《ゴダイヴァ夫人》は、その集大成のような一枚です。官能と道徳がぎりぎりのところで釣り合っている。見る側が「いやらしく見る」こともできるが、同時に「崇高さの物語」として受け止めることもできるという、危うい境界線。
コリアはその境界線上に、ゴダイヴァをそっと立たせています。彼女を見つめる観客のまなざしこそが、この絵の意味を決めるのだと言わんばかりに。
伝説か、真実か──それでも残る「物語の力」
実のところ、ゴダイヴァが本当に裸で街を駆け抜けたのかどうかは、歴史的にははっきりしていません。この逸話は、彼女の死後かなり経ってから記録された伝説で、史実としては疑わしいと考える研究者も多いのです。
それでも、この物語は長く生き延びてきました。
「権力に抗うために、自分の身体を張った女性」がいた――そのイメージが、人々の心をつかんで離さなかったからでしょう。
ジョン・コリアの《ゴダイヴァ夫人》は、その伝説をもっとも静かで、もっともドラマチックな形で視覚化した作品と言えます。
