絵画ミステリー③:地獄の楽譜――ボスの「尻の音楽」
ボス《快楽の園》, The Garden of Earthly Delights by Bosch High Resolution, Public domain, via Wikimedia Commons.
オランダの画家ヒエロニムス・ボス(1450年頃-1516)の三連祭壇画《快楽の園》(1495-1505年頃)は、マドリードのプラド美術館を訪れる人々を何世紀にもわたって魅了してきました。
左パネルには原罪以前のエデンの園、中央パネルには罪に耽る裸の人々、そして右パネルには地獄の光景が描かれています。この地獄のパネルには、巨大な楽器による拷問シーンが多数描かれていますが、2014年に一人の大学生によって注目を集めた細部があります。
オクラホマ・クリスチャン大学で学んでいたアメリア・ハムリックは、人文学の授業でこの絵を研究していた際、地獄のパネルに描かれた罪人の尻に楽譜らしきものが書かれていることに気づきました。
ボス《快楽の園》拡大(楽譜は左上), Hieronymus Bosch - The Garden of Earthly Delights - Prado in Google Earth-x4-y2, Public domain, via Wikimedia Commons.
彼女は深夜1時頃、約30分かけてこの「楽譜」を現代の記譜法に翻訳し、自身のTumblrページに投稿しました。彼女の投稿は瞬く間に拡散され、CNNのインタビューを受けるまでに至りました。この「500年前の尻の歌」は、リュート、ハープ、ハーディ・ガーディ(中世の弦楽器)で演奏され、様々なバージョンがYouTubeに投稿されています。
しかし、この発見には問題があります。音楽史の専門家たちが指摘するように、この「楽譜」には音部記号(clef)がなく、音部記号なしでは音の高さを特定することができません。
さらに詳しく調べると、これはグレゴリオ聖歌の記譜法ではなく、Strichnotation(シュトリヒ記譜法)という中世の記譜システムを模倣した「偽物の楽譜」だということが明らかになりました。
音楽史家Ian Pittaway(イアン・ピタウェイ)の詳細な研究によれば、ボスは《The Garden of Earthly Delights》だけでなく、他の作品でも読めない偽の楽譜を描いています。
では、なぜボスはこのような「楽譜」を描いたのでしょうか。
答えは、絵全体のテーマに関係しています。ボスの地獄では、音楽は罰として描かれています。リュート奏者は蛇に縛られ、ハープ奏者は自分のハープに磔にされ、合唱団は沈黙させられています。楽器は演奏不可能になるか、耐え難い大音量で鳴らされるか、単調な音しか出せなくなっています。
尻に書かれた楽譜も、読むことも歌うこともできない音楽です。中世では、音楽、特に世俗音楽は道徳的に疑わしいものと見なされることがありました。ボスにとって、地獄における音楽は喜びではなく苦痛の源だったのです。
ハムリックの「発見」は、技術的には誤りでしたが、何世紀も前の絵画に現代の人々の関心を集めたという点では成功でした。彼女自身も「これがこんなに大きな話題になるなんて信じられない」とコメントしています。ボスの絵は、現代においても新たな解釈と議論を生み出し続けているのです。
絵画ミステリー④:消えた名画――イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館強盗事件
イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館 盗まれたレンブラント作品の額縁, The stolen Rembrandt frames, Public domain, via Wikimedia Commons.
現代美術史における最大のミステリーの一つは、絵画そのものではなく、絵画の盗難事件です。1990年3月18日の早朝、ボストンのイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館で史上最大規模の美術品強盗事件が発生しました。
午前1時24分、警察官の制服を着た2人の男がインターホンを鳴らし、「騒動の通報を受けた」と告げました。当直の警備員は規則を破ってドアを開け、男たちを中に入れてしまいます。強盗たちは2人の警備員を地下室で手錠と粘着テープで拘束し、その後81分間にわたって美術館内を物色しました。
彼らが盗んだのは13点の芸術作品です。レンブラントの《ガリラヤの海の嵐の中のキリスト》と《黒衣の紳士淑女》、フェルメール《合奏》、マネの《トルトーニ》、ドガの素描5点などです。フェルメールの作品は世界に36点(現在確認されているのは34点)しか存在せず、《合奏》は現在行方不明の絵画の中で最も価値が高いとされています。
強盗たちは絵画を額縁から切り取るという乱暴な方法で盗み出しました。これは、彼らが美術品の扱いに慣れていなかったことを示唆しています。午前2時45分、2回に分けて作品を車に運び込んだ後、犯人たちは姿を消しました。警備員が発見されたのは午前8時15分のことでした。
盗まれた作品の総額は当時の評価で2億ドル、現在では5億ドル以上に相当するとされています。美術館は作品の無事な返還につながる情報に対して1,000万ドルの報奨金を提供しており、これは民間機関が提供する報奨金としては史上最高額です。しかし、35年が経過した現在も、一点も回収されていません。
FBIは長年この事件を捜査してきました。2013年には、犯人たちの身元を特定したと発表しましたが、具体的な名前は明かされず、作品の行方も分かりませんでした。
捜査の焦点は当初からボストンのマフィア組織に当てられてきました。事件当時、ボストンのマフィアは内部抗争の真っ最中で、盗難は組織の幹部を刑務所から釈放させるための交渉材料として計画されたという説があります。
有力な容疑者の一人だったボビー・ドナティは強盗事件の1年後に殺害されました。また、別の容疑者も死亡しています。
2022年には、マフィアのメンバーだったジミー・マークスが事件の数日前に盗まれた絵画2点を所持していたと自慢していたという新たな情報が浮上しましたが、マークス自身は1991年に暗殺されています。
美術館の創設者イザベラ・スチュワート・ガードナーは、遺言で美術館のコレクションを一切変更してはならないと定めていました。そのため、盗まれた作品が飾られていた場所には、今も空の額縁が掛けられています。
これは単なる展示方法ではなく、失われたものへの追憶と、いつか作品が戻ってくることへの希望の象徴です。美術館を訪れる人々は、その空白を見つめながら、どこかに存在するはずの名画に思いを馳せることになります。
