勝川春章の弟子、葛飾北斎と勝川派の系譜
Katsushika Hokusai: English: Young Woman and Little Girl Playing Musashi, Public domain, via Wikimedia Commons.
勝川春章は弟子の中から、後の巨匠である葛飾北斎を輩出しました。北斎は若かりし頃に勝川春章に入門し、勝川春朗(しゅんろう)の号を名乗っていました。春章の指導が、北斎の初期の役者絵や美人画に影響を与えたことは間違いありません。
他にも、春章が築いた勝川派からは、勝川春好や勝川春英など、春章の作風を引き継いで活躍する弟子が多数育ちました。特に春好は、役者の顔をクローズアップして描いた「大首絵(おおくびえ)」の創始者でもあります。この表現は、後の東洲斎写楽にも影響を与えたと考えられます。
江戸のメディア王・蔦屋重三郎との協業
北尾重政・勝川春章《青楼美人合姿鏡》, Public domain, via Wikimedia Commons.
勝川春章の活躍は、当時の出版業界の天才プロデューサー、蔦屋重三郎との連携なくして語れません。
春章の成功には、版元である蔦屋重三郎の存在が不可欠でした。蔦重は春章の革新的な役者絵や美人画の魅力をいち早く見抜き、積極的に出版することで、春章の人気を江戸中に広めたことで知られています。
