1995年の地下鉄サリン事件から30年。被曝被害者の声は今、社会にどれほど届いているのだろうか。私自身は、被害者救済が後回しにされてきたように感じている。
今年、OPCW(化学兵器禁止機関)の年次総会に参加し、世界の支援制度を見聞きしたことで、日本の被害者救済の構造的な課題や、公共放送の報道のあり方に改めて疑問を抱くようになった。
本稿では、私が「NHKの取材を受けない」と決めるに至った個人的な経験を通じて「被害者の声がどのように社会に届けられるべきか」という問題について静かに考えてみたい。(映画監督・作家、さかはらあつし)
●小さな被害者団体を立ち上げたワケ
私が活動している「サリン被害者の会」は、私ともう一人の被曝被害者、そして発起人という、ごく小さな団体だ。
この団体を立ち上げた背景には、一般に知られる「地下鉄サリン事件被害者の会」が新規入会を受け付けておらず、結果として、遺族中心の組織として機能してきたという事情がある。
被曝被害者の実情が社会に十分共有されていないという実感があり、自分たちで声を届ける仕組みが必要だと考えた。
●国際会議で突きつけられた「支援格差」
今年11月24日から28日まで開かれたOPCWの年次総会で、私は地下鉄サリン事件の被害者として参加し、193カ国の外交官の前で共同声明を読み上げた。
会場では、イランの医師であり、化学兵器被害の当事者でもあるシャフリアル・カーテリ氏と話す機会があった。
日本のサリン被害者への給付金について、私が「(私とは別の)ある被害者が100万円もらった」と話した際、彼は「それは毎月なのか、毎年なのか」と問い返してきた。
日本では「一生に一度きりの100万円」が現実であり、その違いを前に私は返事に困った。国によって支援制度が大きく異なることを痛感した瞬間だった。
イランでは、サリン事件より前に化学兵器の使用があり、被害者支援の仕組みも整えられてきた経緯がある。日本も参考にすることができたはずだ。
しかし実際には、被害救済の多くが、加害者である「オウム真理教」(および後継団体)の補償を前提として進んできた側面がある。
この構造の影響もあり、被曝被害者への支援は後回しになってきたのではないか─。私はそのように考えている。


