●被害者団体の"代表性"の問題
「地下鉄サリン事件被害者の会」は遺族中心であり、新規の入会が一切認められていない。この点を説明したが、番組や記事では「被害者を代表している」と紹介されるケースがあった。
後に関連ページが削除されたものの、その理由などの説明は私には届かなかった。
こうした体験が積み重なる中で、私は「取材内容がどのように理解され、どのように社会に届けられるのか」という点に不安を感じるようになった。
●「勉強不足ですが…」という言葉が示すもの
最後に受けた取材依頼では、担当者から「勉強不足ですが、お話を聞かせてほしい」とのメールが届いたことがある。
率直な姿勢とも受け取れるが、私のこれまでの経験では、この言葉が出るときは事前準備が十分でないことが多く、再び長時間の説明を求められるのではという不安がよぎり辞退した。
●化学兵器被害の「本質」が伝わるために
今夏、松本サリン事件に関する報道で、NHKは地元住民の声をつなぐ形で番組を構成していた。「一番かわいそうなのは亡くなられた人」「このようなことが二度とあってはいけない」とつないだ編集をしていた。こうした声を拾うこと自体は重要だ。
しかし、化学兵器禁止条約に基づきOPCWが存在する理由は「かわいそうだから」ではなく、化学兵器が人体に与える激しい苦痛と、後遺症の非人道性ゆえである。後遺症を抱える被曝被害者には「生きていること自体が辛い」という状況の人もいるのである。
公共放送が軽々に化学兵器の被害に序列をつけるべきものではない。化学兵器の被害は、戦争犯罪や人道法違反と同じく、事実を序列化して語るのではなく、その非人道性を正確に伝えることこそが報道の役割である。
こうした本質が十分に理解されているとは感じられず、私自身の経験とも重なり、報道のあり方にはなお改善の余地があるのではないかと考えるようになった。
●私がNHKの取材を受けないと決めた理由
以上のような体験から、私はNHKからの取材依頼には今後応じないと決めている。あくまで一被曝被害者としての私的な判断であり、特定の個人を批判する意図はない。
しかし、この決断に至るまでの経緯は「被害者の情報をどのように理解し、どう社会に伝えるか」という広い意味での課題も示しているように思う。
被害者とは、語りたいから語るのではない。語らなければならない現実がそこにあるから語っているだけだ。その"声の重さ"を受け止められない取材に、私は応じることができない。
なぜなら被害者の語りはメディアの"素材"ではなく、人命と人権に関わる記録である。そこへの敬意が保たれない限り、取材には応じられないからだ。
(参考)化学兵器被害者救済の5原則
(1)科学的根拠の原則
化学兵器の被害者救済は、科学的根拠に基づいて実施されなければならない。正当な科学的基準を満たさない救済措置は、再評価・見直しの対象とすべきである。
(2)被害者参加の原則
希望する被害者が、救済プログラムの策定と実施に参加することは、基本的人権として保障されるべきであり、正当な理由がない限り拒否されるべきではない。
(3)心理的負担配慮の原則
化学兵器の被害者は、外見では認識されにくい深刻な心理的・精神的影響を受けており、支援の際には十分な心理的配慮が不可欠である。
(4)非政治化の原則
化学兵器被害者の救済は、いかなる政治的目的のためにも利用されてはならない。被害者救済は、政治的利害を超えた純粋な人道的関心に基づいて行われなければならない。
(5)依頼1回限りの原則
報道関係者による被害者への複数回の取材要請は、精神的負担となるため慎重に行われるべきであり、過度な接触は避けなければならない。

