
にぼしいわし・伽説(ときどき)いわしによる、日々の「しょぼくれ」をしたためながら、気持ちの「おかたづけ」をするエッセイ「しょぼくれおかたづけ」。
お笑いライブをつくるうえで、いわしには、いつもつっかえる悩みがある。
私のもつ思いと、周りの熱意に溝を感じること。
自分の信念を伝えきれないこと、真剣さを、迷って隠してしまうこと。
なまじ強い責任感が、後悔するあきらめを生んでしまう日、ばかりで。
人にはそれぞれ「理由」がある。何かを思う熱量はさまざまで、何かに懸ける思いもさまざまだから。だからこそ。
「この人のためなら」と腰をあげてくれたら、「この人がいるなら」を原動力にしてくれたら、それはとてもうれしいことで、私はずっと、そんな人になりたい。
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■第12夜「がんばってみるよ」

「育ってきた環境が違うから好き嫌いはイナメナイ 夏がだめだったりセロリがすきだったりするのね」
自分の主催ライブのリハーサル中、プロジェクターが写らないと焦っているスタッフさんをみていたら、頭の中で山崎まさよしのセロリが流れた。
プロジェクターが写らないなんてリハでのトラブル第1位のはずなのに、明らかに準備不足だ。事前に会場に行った時にテストしたものと違うパソコンを当日に持ってきてしまったそう。予備のパソコンにはデータが入ってなくて、地下の劇場だから電波がなくてデータを移すのに時間を要する。リハ時間が、刻一刻となくなっていく。
しかもそのスタッフさんとは、これまでも私が主催したライブでそういうトラブルが何回もあったから、次こそはちゃんと準備しようと話をした後だった。
育ってきた環境が違うから、「次はちゃんとしよう」のとらえ方も違ったのかもな、と思った。
この日のために、ネタもたくさん作ってきたし動画もたくさん作ってきた。今怒ったってしかたないけど、しかたないんだけど、しかたないんだけど!
強くなれ私! 意味のない怒りは飲み込め。ここで怒ったって空気が悪くなるだけ。育ってきた環境が違うんだ。尊重しあってなんぼでしょ。チームでしょう。私はチームのリーダーでしょうが。スタッフさんだってわざとじゃない。全力を尽くしてくれている。でも、ああ、心臓が重い。呼吸をしているのに苦しい。これ呼吸じゃないな。呼吸のフリをしているだけだ。こんな気持ちでライブをすることが本当に悔しい。お客さんに申し訳ない。
でも、スタッフさんたちはプロじゃないから。お笑いライブをたくさん手伝って知見はあるけれど、みんな年下で学生の子もいて、そんな文句言うなら、私がプロを雇えばいいだけで。みんなといっしょにいいライブを作りたいとか思うなら、その子たちが成長できる場所を作らないといけない。ちゃんとやれなかったら、青春ごっこなだけ。すべて私の責任。まったくもって私の責任。指導の責任がある。悔しいと思っていいわけがない。
そして、多分、私がもっと売れてて、もっとおもしろくて、もっと頑張ってたら、みんなももっと気合いを入れて臨むんだろうと思った。そう、全部、私が悪いねん。
「もともとどこ吹く他人だから価値観はイナメナイ 流行りが好きだったりそのわり古風なとこあったりするのね」
そう、他人なんだから価値観が違うのは当たり前だ。このライブでプロジェクターが写らないのが大問題と強く思ってるだけなのは私だけ。そもそも機械だし。こういうトラブルはつきもの、みんなはきっと、つきものだしって考えてるのかも。
でも私は、つきものって考えないでほしかった。おいおいおい、そういうことを言うな。だってスタッフさんだって本気で取り組んでる。自分のことばかり考えないで。プロじゃないんだから。ライブに関わるなら責任を持ってやってほしいって言うのは、わがままだ。「価値観が違うことはイナメナイ」の。
「よっしゃ! 映った! よかった!」
安堵から拍手が湧き起こる。盛り上がっている。盛り上がるな、拍手じゃねえよと思ってしまった。そして、手伝ってくれているみんなのことが許せない自分には、お笑いをやる資格がないように感じた。ライブがうまくいくならそれでいいはずだ。それでいいはずなんだけど。
「いわしさんだけです、音響のこと言うてくるの」
明らかにミスがあり、ライブ終わりに確認しに行ったらいわれた言葉。思わず頭が真っ白になった。こいつ、何てこと言うんだと思ってしまった。でも、急に暗くなった顔を見て、傷つけてしまったことに後悔がせりあがってきた。バイトの子に言うことではなかったのかもしれない。でも、お客さんはお金を払って見にきていて、こっちだってプロとしてやってるんだ。音響さんだって尽くしてほしい。ライブに対しての価値観が違うのかもしれない。何より、間違えようと思ってはやってないことである事実がのしかかる。
じゃあ、私のこの、お笑いライブに対しての熱量は、他人の失敗に対して悔しくなる気持ちは、みんなでもっといいもの作ろうよ!っていう気持ちはどこに置いておけばいい。これ以上がんばらないといけないのか。やれるだけがんばってみたつもりだったけど。
これをあくまでみんな「お手伝い」で、それを伝えるならプロを雇わないといけない。経済面でも実力面でも、私は足りない。でもお客さんからお金をもらってプロの芸人がお笑いライブをやっているし、何よりお笑いライブのスタッフになりたいときてくれた人たち。分かり合えないのかな。これはもうずっと、平行線なのだろうか。
■先輩のライブはすごかった、先輩も、スタッフさんも
先輩のライブでは、全員がプロのスタッフさんで、テキパキと仕事をしていた。トラブルなんてなくて、リハではもっとおもしろくブラッシュアップするには、そんな話し合いが行われていた。こんな画像も載せれます、こんな音も出せます。どんどんライブがいいものになる予感がしていく。長年やってきたスタッフさんと先輩には信頼関係が肉眼で見える。そんな信頼関係に乗っかりながら必死についていく。
楽しい。体が、頭が、ライブが楽しいと言っている。今、私を半分に割ったら、ハンバーグから肉汁が流れ出るように、楽しいが流れ出る。今の私は、めちゃくちゃおいしいんだろうなと思う。ああ、そうそうこの感じ。これがやりたい、だからお笑いライブが好きなんだ。色んなこと想定して準備をして、全員が同じ方向を向いていて、熱量も価値観も同じで、それでお客さんが笑ってくれたら、それは最高のお笑い生活なんだ。
うらやましいな。どうしてだろう。
きっとこれは、先輩がついていきたくなるくらいかっこいいからなんだろうな。
私にはできない、だって私は、まだ、かっこよくないからだ。
みんなを信じて一緒にやりたかった。いいライブをやりたかった。熱量の違いで諦めたくなかった。
でも、私のそんな思いが、通じる瞬間が来たのだ。

「あの時はあんなこと言うてごめんなさい」
少し時間が経ってから、音響のバイトの方から連絡が来た。10歳も歳の離れた年下の子。自分が足りてなかった、今思うとなんてことを言ってしまったんだろうと後悔している旨が書かれていた。
「大切なライブだったのに準備不足になってしまってごめんなさい」
プロジェクターのスタッフの方々も伝えてくれた。
みんな、私の価値観と闘ってくれた。私の価値観に、がんばってみるよと、寄り添ってくれた。私だってめちゃくちゃ悪いのに。ちゃんとしたいならプロにお願いしなきゃいけないし、みんなが育つ環境を作らないといけないし、そもそも私がもっと有能でないといけない。
でもみんな、プロであろうがなかろうが、最高のライブを作りたい、お客さんを笑顔にしたいという価値観を持ってくれた。熱量が、いっしょになった気がした。

