伊藤さんはこの性暴力被害について刑事・民事の両方で手続きを進め、最終的には民事裁判で同意のない性行為が事実と認定され、2022年に勝訴が確定しています。本作は、2024年10月にアメリカのサンダンス映画祭でワールドプレミア上映され、今年には第97回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされたことでも大きな注目を集めました。
一方で本作の公開をめぐっては、一部の映像や音声の扱いについて2024年から指摘があったことが報じられています。伊藤さんは2025年10月、自身のサイトで、タクシー運転手とその家族への謝罪文を掲載。
今回の日本公開版では、指摘を受けた箇所を中心に修正が加えられていますが、修正箇所や詳しい手法などは明らかにされていません。映像や音声の使用をめぐり、伊藤さんとかつての代理人である元弁護団との間に意見の相違があるとも報じられています。
さまざまな声が交錯するなかで公開される本作。自身の身に起きた出来事を自らの手でドキュメンタリー映画として記録する理由は何か。そして、タイトルの「ブラックボックス」に込めた社会への問いかけとは。公開を前に伊藤さんに話を聞きました。
記録は「自分を守るため」に始めた
──2017年に自身の受けた性的暴行被害について綴った『Black Box』が出版されました。今回、ドキュメンタリー映画『Black Box Diaries』を制作するに至った経緯を教えてください。伊藤：映画を意識して撮り始めたのは、公で自分の性被害について話した2017年以降ですが、記録を始めたのは2015年、被害を受けた直後からです。最初は映画を作るなんてまったく考えていなくて、どちらかというと自分の身を守るための記録でした。
ですが、警察との捜査を続ける中で「なぜこんな進め方をされるんだろう」「なぜ逮捕状が出ていたのに逮捕が急きょ取りやめになったのか」といった、説明のつかない不可解なことが次々と起き、警察に不信感を抱くようになってしまって。それがきっかけで、自分で取材や記録をしようと思いました。
──そこからどのようにして、映画にしようと決意したのでしょうか？伊藤：2017年に記者会見をした後、生活に支障が出るほどの誹謗中傷を受けました。そんな時、イギリスに住む日本人女性とスウェーデンの方から急にSkypeで連絡が来て、「日本で起きていることを知ったんだけど、どうにか安全に生きてほしいから、うちに来なさい」と言ってくれたんです。まったく知らない人たちでしたが、その時はすがるような思いで日本を離れました。
やっぱり日本から距離を置いてみると、“呼吸ができるようになった”と感じて、やっと『Black Box』の執筆を始めることができました。それから、電話してくれた女性（本作のプロデューサー）が映像ジャーナリストで私と似たバックグラウンドを持っていたので、「私たちが持っている映像というスキルで何かしたいね」という話になり、本格的に自分にカメラを向けることが始まりました。
性暴力は語られても「権力の腐敗」は語られない
──映像だからこそ伝えたかったことはありますか？伊藤：「なんで本まで書いたのにこれを作ったの？」と聞かれることもあるんですけど、私にとって本と映画はまったく別の表現方法ですし、本ではジャーナリストとして書いた部分が多く、サバイバーとしての感情など内面については触れてはいけないと思っていたので控えていたのですが、映画では当事者の視点として作ることを大切にしました。
私のケースでは、逮捕状が止まったり、不起訴になったりしたけど、それはあくまで私が経験したことの一つです。私たちが知らないだけで、警察やメディアの中には報道されない、話せないケースはいくつもあります。
なので、伊藤詩織が経験した性暴力については忘れて、「ケースA」として見てもらいたいです。目に見えないものがたくさんある中で「私たちの近くにはどんな“ブラックボックス”があるんだろう」と考えるきっかけになることが、本当の願いです。
──海外ではすでに上映されていますが、反応はどうでしたか？
伊藤：これは日本で起きたケースですが、反応は世界共通でした。性暴力を守る法律があるような北欧などの国でも、「Violence against Women（女性に対する暴力）」についてのトピックが挙がった時、「Power Corruption（権力の腐敗）」については語られません。
しかしどんな暴力でも、力関係の格差の中で起こります。この二つの問題を切り離して語ることができないのに「力」の問題は語られないことが多いです。トピックとして性暴力やハラスメントについては話せても、権力については話しづらい。なぜなら、それ（彼らの権力）を守ろうとする人たちがいるから。これはどこにでもある話だし、地域によってはもっと話づらい現状があると感じていて。日常的に生きる中での圧力や権力を感じる人が多くいるからこそ、このテーマは普遍的にシェアされたのだと思います。
