●なぜ今回は「生い立ち」が重要なのか?
「山上被告人のこれまでの人生が、統一教会の影響で困難なものだった」という事情は、通常であれば犯情ではなく、一般情状となるでしょう(そもそも一般情状にすらならないという考えもあるでしょう)。
そうすると、量刑上考慮されたとしても大きな要素ではないと思われるかもしれません。
しかし、今回の事件では事情が違います。なぜなら、山上被告人のこれまでの人生が、殺人罪(刑法199条)における「動機」にかかわるからです。
殺人事件において、「なぜ殺害に至ったのか(動機)」は、犯情として評価されます 。
山上被告人の場合、安倍元首相の殺害につき、以下のようにいえるのかということが審理対象になっていると考えられます。
・家庭内での旧統一教会の影響や母親の多額の献金が、彼の人生を決定づけた
・その過酷な環境が、彼の意思決定や思考プロセスに影響を与えた
・その結果、「安倍元首相を殺害する」という行動を選択せざるを得なかった
つまり、彼のこれまでの人生がどうだったか、といった事情は、単なる同情を引くための話などではなく、犯行の核心部分である「動機」を形成した要因として、犯情の枠組みの中で審理されているといえます。
●誤解しやすいポイント
こういうニュースが出てくると「だからといって人を殺していいことにはならない」という議論が必ず出てきます。しかし、この議論は少し誤解を含んでいるように思います。
なぜなら、「人を殺してはいけない」ということは、そもそも「殺人罪」が適用される、という段階で既に評価されていることが前提となっているからです。
今検討している問題は、あくまでも殺人罪(=人の生命を奪うという悪いことをした)の法定刑の幅の中で、具体的な量刑を決める、という段階です。
山上被告人のこれまでの人生を、殺人罪の法定刑の幅の中で、「動機」としてどこまで考慮できるのかが問題となっている、ということに注意が必要です。
もちろん、山上被告人がどれほど困難な人生を歩んだとしても、そのような事情を安倍元首相を攻撃対象とすることの動機としてどの程度考慮すべきなのかは大いに議論の余地があります。
そういう意味で、山上被告人のこれまでの人生がどうだったか、ということを、安倍元首相に対する殺人罪との関係で考慮するのはおかしい、という議論であれば、十分ありうると思います。

