新時代の旗手から、伝統絵画に回帰!? アンドレ・ドランの珍しい「進化」 ~フォーヴィズム時代~

20歳から本格的に絵画の道へ。そしてフォーヴィズムに

1900年、ドランはマティスやブラマンクとアトリエを共有し、近隣の風景画を描き始めました。この経験が彼の芸術的視野を広げました。

しかし1901年9月から兵役のため絵画の製作は数年間中断。1904年になって絵画制作を再開するときは、絵画に専念すると決めて両親を説得しました。

ドランはエンジニアの道を捨ててアカデミア・ジュリアンに入学し、本格的に美術を学び始めました。

1905年の夏、ドランとマティスは地中海に面した村コリウールにアトリエを借りて共同制作を始めました。豊かな色彩にあふれる港町の風景は、2人の作風に決定的な影響を与えました。(フォーヴィズムの鮮やかな色彩はコリウールに住んだから生まれたんですね!)

1905年の後半、サロン・ドートンヌでドランが発表した作品は、鮮やかな色彩と大胆な筆致で多くの注目を集め、この展覧会でドランはマティスやブラマンクらとともに「フォーヴィズム(野獣派)」の代表的な画家として注目されるようになります。

批評家ルイス・ヴォクセルはその鮮やかでありながらも不自然な色合いの作品を見て「フォーヴ (野獣)」と叫びました。それほどまでに、今までの絵画に無い新鮮さや力強さが衝撃を与えたわけですね。

これをきっかけに、自然の色彩を無視し強烈な原色を用いて感情を直接的に表現するフォーヴィズム運動が始まり、20世紀初頭の美術界に大きな影響を及ぼしました。

ロンドンに招かれ制作、代表作が次々と生まれた

フォーヴィズム元年ともいえる1905年の翌年、1906年には有力画商のアンブロワーズ・ヴォラールがドランをロンドンに招待しました。

ヴォラールは都市をテーマにした絵画シリーズを販売したかったようで、ドランはテムズ川沿いの風景など30点の風景画を製作しました。

ヴォラールの期待に違わず、ドランが描いたロンドンの風景は今までとはまったく異なるものでした。大胆な色使いと構成で描かれたテムズ川やタワーブリッジは、ドランの代表作となりました。

配信元: イロハニアート

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