直哉の出張中、楓は沙織の助けを借りて秘密裏に引っ越しを決行。直哉の所有物と自分の私物を慎重に区別し、必要な荷物だけを運び出します―――。
夫が不在の隙に…
直哉が出張で家を空けた朝。私は緊張でほとんど眠れていませんでした。心臓が今にも飛び出しそうなほど高鳴る中、午前9時に沙織がレンタカーのワンボックスを運転して、静かにアパートの前に到着しました。
「楓、落ち着いて。時間はたっぷりある。直哉さんが帰ってくるのは明日の夜でしょ? 私たちがやるのは、ゆりちゃんと楓の生活に必要な最低限の荷物を運ぶことだけ。家具は後でどうにでもなるから」
沙織の冷静な声が、凍りついた私の耳に優しく響きます。
「ありがとう、沙織。本当にごめんね、こんなことに巻き込んで」
「何言ってんの。友達でしょ。さあ、作戦開始!」
ウェディングドレスは必要ない
直哉のモラハラは「言動」が中心でしたが、時折見せる暴力的な態度のせいで、私は常に彼の目を気にしていて、何が自分のものなのかすらよくわからなくなっていました。でも、この家にある服や化粧品、ゆりのおもちゃ、私名義で購入した書籍などは、私のものです。直哉の所有物には指一本触れないように、細心の注意を払います。
私とゆりの荷物を詰めた段ボールは20箱近く。沙織と二人で、汗だくになりながら、一つ一つ運び出します。
「これ、楓のウェディングドレスでしょ? 持っていく?」
沙織が押し入れの奥から出てきたケースを指差しました。
「ううん、もういい。直哉のモノと一緒にここに置いていく。思い出はもういらないから」
その言葉を口にした瞬間、私の胸の奥から、冷たい水が流れ去っていくような感覚がありました。直哉から離れることは、彼の支配から解放されること。それは、これまでの自分との決別でもあったのです。

