
にぼしいわし・伽説(ときどき)いわしによる、日々の「しょぼくれ」をしたためながら、気持ちの「おかたづけ」をするエッセイ「しょぼくれおかたづけ」。
これまで、ここに連載してきた「しょぼくれ」を一気読みしたいわしは、改めて驚く。
どうしてここまで、後ろばかりを振り返ることができるのか。
どうしてこんなにも、何かのへこみを見つけることができるのか。
そして、たくさんの芸人たちが、必死に隠してきたあれこれを、吐露してしまうことへの懸念も、少しだけあった。それは「おもしろい」を曇らせてしまうことになるから。
それでもいわしが、隠さず逃げずに書き続けた理由とは一体……?
■第17夜「私は大丈夫なんやと思う」
今、私の目の前には重ねられたA4の用紙がある。6枚切りの食パンの分厚さだ。今日はこれをいちから読んで、言い回しや誤字脱字などの気になるところを修正して、印刷をしてもらう。本の仕上げの最終日である。KADOKAWAの会議室でもくもくとやっていく。
編集者さんが用意してくれた軽食たちがこちらを見ている。おにぎりもパンもカステラも、いつもは私をぶくぶくと太らせる憎き存在は、今日だけは私の味方である。「協力体制はバッチリ整えてまっせ」と糖質が前のめりになっている。今日の作業に必要な糖質を可視化できたとき、初めて本を出版する大変さを思い知った。
最後のページを読み終わった後、私は半笑いだった。よくもまあこんなにいろんなことに悩めたなと、悪い意味で感心した。気が滅入るほどのしょぼくれの連鎖に殴られて、私はどんよりした気持ちを笑いに変換して逃すしかできなかった。
これを販売して大丈夫なのか、と、新たなしょぼくれが産声をあげた。こんなときでもとめどなくしょぼくれは生まれてくる。首の座ってないしょぼくれは私が抱っこしてあげるしかなくて、ギャーギャー泣いているそれを、あやしながら考えた。
私は、芸人が守って守って見せてこなかった部分を文章に書き留めて世間に知ってもらおうとしている。他の芸人は絶対に見せない部分だ。だって、こんなところを見せてしまったら「おもんない」から。芸人の理想像とはかけ離れたこの行動、受け入れてくれる芸人や業界関係者なんていないのではないだろうか。これのせいで仕事が減ったらどうしよう。これのせいで自分たちがおもんないと思われてしまったらどうしよう。
ザテレビジョンで連載している文章をとある先輩が読んでくれたことがあった。
「自分をおもしろくないなんて言っちゃダメだよ」
あまりにも正論で、言い返す言葉がなかった。THE Wで優勝したときの「ざまあみろやね」を読んでくれたようだ。自分をおもしろくないなんて言ってしまったら、それは芸人をやっている意味がない。自分を応援してくれているファンにも、自分の周りにいるスタッフにも失礼なことである。そんなことはわかっている。わかっているから言わないほうがよかった。実際にそう思っていてもいい。でも、発信してしまうことで罪になる。そんなことにも気がついている。先輩たちだって自分のことをそう思う日があることを知っている。でも言ったらおしまいだから、絶対に言わないし、その気持ちが浮き出てきたときには砂をかけて、また地中に埋める。みんな当たり前にそうしている。だって弱さを見せることは、おもしろいと対極にある。
私は弱い。限りなく弱い。普通の人間がひっかからないようなところでつまづいて、普通の人間が気がつかない傷にも気がついて喚く。そういう自分がとことん嫌いになって、布団に寝っ転がっているだけの日もたくさんあった。はたまた、そんな自分も自分なのだから受け入れて前に進もうと、スカスカのポジティブを撒き散らした日もあった。
芸人をする目的を見失うことも多々あった。お客さんを笑わせたい、おもしろいことがしたい、という感情が消え失せることもあった。周りから自分がどう見えているのかだけが気になってビクビクして、自分らしくない発言をたくさんした。
■私は私のしょぼくれで誰かを救いたい、なんて

それでも、私は連載を書き続けた。しんどかったこと、つらかったこと、そのときの自分の感情を細かくていねいに分解して、文章にしたためた。業界の人、芸人、私と真逆の強い人たちから、どう思われるかとても心配しながら書き続けた。もし、「そんなこと書いちゃダメだよ」と言われても、「マジでそうっすよね〜」と笑って誤魔化せるから。私は自分の弱さを、笑いのためなら軽く扱える。そういう自分もめっちゃ嫌いだった。でもそんな感情も書き留めた。おこがましいけれど、誰かの何かをこの文章で救えるなら。私といっしょにしょぼくれをおかたづけできる仲間が増えるなら、まあ、それはそれでいいかと思えるようになった。
原稿を読み終わったときは半笑いだった。でも、心の底から、感じたことのないじんわりとした安心感に気がついた。なんやこれ。初めての感覚だった。
私は、これだけ弱くて、どうしようもなくて、落ち込んだら頑張れないような人間なのに、なぜか文章を書くことはできた。もちろん周りの支えがなかったら書けていないけど。そして、それが1冊の本になった。私がちゃんと生きた証だった。よくまあこれだけ悩んだくせに、ちゃんと生きたと思う。えらい。
この心の底の安心感は、もしかしたら「自信」なのかもしれない。
人間はどれだけしんどくても、ダメでも立ち直るパワーがある。その動機は、何かを成し遂げたいからでもいいし、他人を守りたいからでもいい。絶対にどこかで立ち直れるのだ。
私はそんなきれいごと、全然信じてなかったけれど、この原稿を読んだらさすがの私でも信じざるを得なかった。だから、これからも私は大丈夫なんやと思う。

そのあと連れて行ってもらったおでん屋のビールは、格別にうまかった。

