制作側の情熱と若者世代の距離感
作家だけでなく制作の手綱を握るスタッフ側も昭和、平成時代に青春を過ごした年代が中心になっていることも要因のひとつでしょう。そのためか作家や制作者側の「昔はよかった」的な思いを感じることがあります。
コンプライアンス遵守が叫ばれている昨今、熱意と情熱に輝いていた時代を懐かしむ気持ちはわからないわけでないですが、若い世代は距離を感じられてしまうこともあるのかもしれません。消えゆく昭和・平成時代の輝きを後世に残す意義
一方でこれらの昭和・平成を描いたドラマが、若者の心を掴まなかったとしても、今後作品の価値や評価が上がっていく可能性があります。それは、消えゆく昭和・平成の風景や風俗の記録として、語り継がれるものになるということ。昨今、業界内の世代交代が進み、戦時中や高度成長期のドラマを制作しようとしても、当時を知るものが少なく、製作やリサーチに苦慮しているという話を現場で聞きます。
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作家やスタッフがその時代の空気感を知っているうちに、近過去のドラマを制作することによって、作品が歴史的記録として重要なものになるのではないでしょうか。
実際『もしがく』は、筆者も知らない時代のため理解できない部分は多いのですが、局地的な小さな流行や当時の演劇人の息遣いや言葉に、今と地続きの歴史を感じます。
作品自体は素晴らしいものですので、数十年後には三谷氏のレジェンド化もあいまって『もしがく』が歴史的資料として意義のある貴重なものになる可能性は十分あります。

