「天空の自動販売機」存在しないはずの“13階”に現れる、欲望を売る奇妙な自動販売機|Z李

「天空の自動販売機」存在しないはずの“13階”に現れる、欲望を売る奇妙な自動販売機|Z李

SNS総フォロワー100万人超のインフルエンサーであり作家のZ李さんの新刊『君が面会に来たあとで』が11月19日に発売されました。

歌舞伎町を生きる人々の葛藤や、人情味あふれる人間模様などを恋愛、ホラー、SFなど様々なタッチで描いたショートショート集。本作のなかから、試し読みをお届けします。

歌舞伎町のとある雑居ビルの話。ここでは、強い孤独を抱えた人間が訪れた時だけ、エレベーターに「13」のボタンが浮かび上がるというのです……。

*   *   *

天空の自動販売機

明治通りの方の「バリアンリゾートから少し歩いた歌舞伎町の雑居ビル、十三階の存在しないはずの階。

俺はそこで自動販売機の守り人をしている。

このビルは“十二階建て”だ。エレベーターのボタンも1から12までしかない。

でも特定の条件が揃うと──真夜中の三時三十三分、雨の日、孤独な魂を持つ者が乗り込むと──13という数字が浮かび上がる。

「また誰か来たな」

エレベーターが開くと、スーツ姿の男が立っていた。

目の下にクマ、ネクタイは緩み、雨に濡れた革靴が床に水溜りを作っている。

「いらっしゃい。何を望む?」

男は戸惑いの表情を浮かべながらも、一歩踏み出した。

この階には自動販売機が一台だけ。

普通のドリンクじゃない。欲望、記憶、運命。そんなものを売っている。

「ここ……どこですか?」

「十三階だよ。普段は見えない場所」

俺はタバコに火をつけ、煙を吐く。

「自販機目当てに来たんだろ? みんなそうさ」

男は恐る恐る自販機に近づいた。

「区役所通りで怪しい客引きに言われたんだ。本当になんでも買えるの?」

「ああ、でもタダじゃない。代価は高い」

男の目が、赤く光る自販機のディスプレイに吸い込まれていく。

スクロールするボタンには「忘却」「再会」「復讐」「愛」「富」「才能」「時間」……。

「時間……」男がつぶやいた。

「欲しいのか?」

「残り少なくて……」

男は咳込んだ。白いハンカチに赤い染みが広がる。

「あと半年と言われてる。一日でも長く……」

なるほど、末期か。

こういうタイプが一番多い。生への執着、死への恐怖ね。

「代価を知ってるか?」

「何でも払う」

俺は笑った。

「そう簡単に言うな。時間を買うなら、誰かの時間を差し出さなきゃならない」

男の目が揺れた。

「誰かって……」

「家族、友人、恋人……誰でもいい。お前が大切にしている誰かだ」

一瞬の沈黙。

男は財布から写真を取り出した。

小さな女の子、多分五歳くらい。

「娘さんか?」

「ええ……」

「いいのか? お前さんが一年延命するために、彼女が一年早く死ぬことになる」

「そんな……」

雨の音だけが静寂を破る。

男は写真を見つめ、長い間黙っていた。

「やめます」

男が写真をしまう。

「どうして?」

「俺は、死んでも残していくものがある。でも彼女は……これからを生きていくのに」

意外だった。ここまで来て、引き返す人間は少ない。

そもそも、自分より大切なものがある者は、ここにたどり着かないはずだった。

強い孤独をサーチして、“あいつ”が声を掛けているから。

「賢明な判断だ」

「でも……怖いです」

男の肩に手を置いた。

「死に支度は必要だが、死に急ぐ必要はない。奇跡は否定しないし、残された時間の価値が変わることもある」

男の目から涙がこぼれた。

「帰ります。家族が待ってる」

「ああ、そうしろ」

別のボタンを押してやる。

「ここには来たことがなかったことにしてやる。でも、教訓は残しておく」

エレベーターのドアが開き、男は乗り込んだ。振り返った男に手を振る。

「さようなら」

ドアが閉まり、男の姿は消えた。

 

俺は再びタバコに火をつける。

この自販機は、実は何も売っていない。

「時間」「富」「愛」──これらは買えない。

自販機が本当に提供するのは「決断」の機会のみ。

人が追い詰められた時に、何を大切にするか、何を捨てるか、その選択を迫るだけだ。

時計の針が四時を指す。もうじき夜が明ける。

新しい一日が、新しい訪問者を連れてくるだろう。

 

時々思う。かつて、自分も客として来たんじゃないかって。

俺がここにいるのは、きっと自分で選んだからだ。

真夜中の自販機の守り人。

存在しない十三階で、人々の決断の瞬間を見守り続ける。

 

俺が何を捨てて、いつこの仕事を選択したか。

それだけが思い出せない。

真夜中の自動販売機 77364884

配信元: 幻冬舎plus

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