撮影をしながらも、現場にはずっと「生活」が流れていました。
映画『兄を持ち運べるサイズに』で、“兄” の後始末を行う元妻・加奈子を演じた満島ひかり。
柴咲コウ&オダギリジョーという先輩との時間を経て、改めて心動かされた映画体験を語る。
©2025 「兄を持ち運べるサイズに」製作委員会
疎遠だった兄(オダギリジョー)が急死し、東北に後始末に向かった作家の理子(柴咲コウ)。7年ぶりに兄の元妻・加奈子(満島ひかり)とその娘・満里奈(青山姫乃)、さらに現在は一時的に児童相談所に保護されている兄の息子・良一(味元耀大)と再会し、それぞれが思い思いに兄を見送る4日間が始まる。
『兄を持ち運べるサイズに』
11月28日(金)公開
脚本・監督:中野量太
キャスト:柴咲コウ オダギリジョー 満島ひかり 青山姫乃 味元耀大 ほか
原作:「兄の終い」村井理子(CEメディアハウス刊)
配給:カルチュア・パブリッシャーズ
旅をするように役と混ざっていくすごく映画らしい撮影でした
――満島さんは「初めて『兄を持ち運べるサイズに』の脚本を読んだときに、たくさん泣いてたくさん笑いました」とおっしゃっていました。出演を検討されるときなど、脚本とどう向き合われているのでしょう。
「脚本家さんが多くの取材と時間をかけて書き上げたホンなので、私のほうも読むのに集中力が要ります。何というか、神聖さに正面から向き合うために身のまわりをクリーンにして、テーブルの上にその脚本と飲み物だけを用意して、精神は気軽に読み始めるんです。はじめに登場人物の名前や相関図、人物紹介をふんわりと頭に入れてから中身に移ります。場合によっては、最後のページを先に読むときもあるかな」
©2025 「兄を持ち運べるサイズに」製作委員会
――ラストシーンを先に読むのですね! それはどういった理由からなのでしょう。
「どういう風に終わるのかなって、逆行してパズルを解くような興味からですね。そのほうがなぜか頭が整理されて、初読で深いところまで解釈できる感覚もあって。実は私が小学6年生のときに出演した映画デビュー作『モスラ2 海底の大決戦』(97)の撮影が、ラストシーンからだったんです。もちろん撮影はヘビーだけど、映画の物語が終わっても日常が続く感じがして、その後もラストシーンを早めに撮るのは個人的に好きなんです。雑誌を読むときも後ろから読むのがくせで、真っ直ぐに世界が進むより、巡るように理解するほうが私には合っているのだと思います。中野量太監督の脚本には、同じゴールへ向かう登場人物それぞれの違った道が描かれていて、それがとても優しい視点で、距離を取れないくらい笑って泣いていました」
©2025 「兄を持ち運べるサイズに」製作委員会
――作品を拝見して、満島さん演じる加奈子が涙を流していないシーンでも泣いているように見えるお芝居に圧倒されました。
「演じるのが怖い部分もありました。自分が育てている娘と共に、(離婚した)夫の元に行ってしまった息子と久しぶりに葬儀で再会するという特殊な状況から始まるから、からだが硬直しそうで……。加奈子ちゃんはバックボーンや気持ちもあまり多くは脚本に描かれていなかったし」
――職業すら終盤まで分かりませんし、服装から読み解くことも難しいですよね。
「脚本を読み進めていくうちに、彼女は例えば公務員や介護職、看護師など、地域と共存しているお仕事に近い方なのではないか、と考えました。私服に着替えたら何の職業か分からなくなるように、〝都会で働いている私〟みたいな意志や主張を服装に持ち込まない人。特に今回は(亡くなった元夫の)後始末に行く話だから汚れてもいい服装にするはずで、普段の格好ともきっとまた違うんですよね。スタイリストの西留由起子さんも『難しい』と悩んでいました。『この色は着ないよね』『ジーンズははきそうだけどタイトなものじゃない気がする』といったように、引き算で選んでいく形でした」
――記号的でないからこそ、リアルに生きている生身の感じが出たのでしょうね。
「テレビドラマだとキャラクターがはっきりしているぶん〝なぜこの服を着るのか〟が明確にありますが、実際の世の中でそういう人ってそこまでいませんよね。中野監督とも『中学くらいまでは地元でギャルっぽかったけど、今はそうでもない雰囲気を残したい』『何かを選択するのではなく、ただ生きていくことに強い人なんじゃないか』と、いろいろとお話しして探っていきましたが、決め込むことはありませんでした。最近は個性の強い役を演じることが多かったので、キャラクターをこうと決められない今回の感じが、すごく映画っぽくて懐かしかった」
©2025 「兄を持ち運べるサイズに」製作委員会
――解釈を限定しないぶん、演じる側に任される部分が増えて大変だったかと思います。
「柴咲コウさんがふわっと自然体で現場に来てくださったり、青山姫乃ちゃん(娘の満里奈役)が等身大の16歳のままでいてくれたことで、とても助けられました。柴咲さんも私も、現場にお弁当を作ってきていたんです。自ずとお昼ご飯の時間にお互いが作ってきたものを覗くようになって、撮影ではあるけどずっと生活が流れていました。各々のこだわりやくせ、挑戦したいことを気にせず、ただ共存していて面白かったです」
――お弁当を作っていたのは、本作に合わせたアプローチだったのでしょうか。
「自分のからだの状態がキレイじゃないと上手く動けない感じがあって。どの仕事もそうかと思いますが、長く続ければ続けるほど細かい部分が見えてくるものですよね。感覚が敏感になるぶん、からだが連動できるように、という意識で普段から作っていて。水分がちゃんと巡るように美しく保つことは、映画とも相性がよさそうだなって感じます」
――余白を大事にする映画は、その人自身が映り込む部分もあるでしょうしね。
「意識的にそうしなくても、自然とそうした姿勢になっていきました。『役作り』というけれど、究極的には作らないのが私にとっては理想です。ただ漂っているのにカメラに映ったらその役に見える、というのが一番だし、そのためにはどれだけ解釈を深くできて力を抜けるかが大事なんじゃないかなと。役によってはセンスよく練習して、その努力が見えなくなるまで。まだ幼い部分があるけど、どんどん力まなくなってきたと思います」
©2025 「兄を持ち運べるサイズに」製作委員会

