
アートに内在する“飛躍のエネルギー”に焦点をあて、人間や世界の深層から立ち上がる鼓動を宿し、見る者の感性を揺さぶる多様な作品が展示されます。
初めて箱根にスポット!絵画、彫刻、工芸、インスタレーションなど約120点の作品を展示
丸山直文《水を蹴る・仙石原(あたりに)》2023年、作家蔵 ©Naofumi Maruyama, Courtesy of ShugoArts, Photo by Shigeo Muto
まず本展の3つの大きな見どころをご紹介します。
1.箱根に焦点を当てた初の展覧会
開館以来、はじめて「箱根」という土地そのものに焦点を当てます。箱根町立郷土資料館が収蔵する浮世絵コレクションや町指定重要文化財の絵画を皮切りに、箱根をはじめとした東海道の風景から生まれた表現を、江戸時代から現代へと時を越えてたどります。
2.現代美術家たちによるインスタレーションや新作を紹介
箱根の自然と響き合う大巻伸嗣の大規模インスタレーションをはじめ、世界的に知られる現代美術家・杉本博司、そして陶芸家・小川待子による新作が登場します。
大地の深み、自然の営み、そこに息づく生命のリズムを見つめ、対話するように生み出された作品の数々。絵画、彫刻、工芸、インスタレーションなど約120点を通して、アートの創造の広がりを紹介します。
3.ルソーによる油彩画4点を含む、ポーラ美術館の絵画コレクションも公開
西洋近代絵画コレクションより、絵画の可能性を切りひらいた画家たちの作品を紹介します。光と色彩の揺らぎに挑んだモネ、ゴッホ、ゴーガン、そして色彩の科学的探究に取り組んだスーラやシニャックをはじめ、同館の誇るアンリ・ルソーの名品などを展示します。
未知の土地への旅、あるいは内なる世界への旅から生み出された作品群を通して、近代絵画の革新と精神のありようを探ります。
『SPRING わきあがる鼓動』の構成と出品作品
それではプロローグから5つのトピック、およびエピローグに至る本展の構成をご紹介します。
【プロローグ 大巻伸嗣】
大巻伸嗣《Liminal Air Space-Time》2015年、展示風景:「シンプルなかたち展:美はどこからくるのか」森美術館 ©Shinji Ohmaki Studio
およそ50万年前に火山活動が始まり、3000年ほど前に現在の姿をととのえた箱根。「火山地形の博物館」とも称されるこの地には、多様な自然が織りなす豊かな表情が息づいています。
その自然の懐に抱かれるように建つポーラ美術館は、「箱根の自然と美術の共生」を理念に掲げ、これまでに数々の展覧会を開いてきました。
本展の冒頭を飾るのは、箱根の森による美しい景観とアートの共演です。大巻伸嗣によるインスタレーションは、布と空気の流れによって絶えず形を変えながら、上昇と下降、膨張と収縮を繰り返し、大地を動かすエネルギーを思わせます。
1.【はじまりの山― 箱根】
歌川広重《五十三次名所図会 十一 はこね山中夜行の図》1855年(安政2)、箱根町立郷土資料館〔展示期間:2026年3月6日‒5月31日〕
険しい山々に囲まれ、富士山を望む芦ノ湖周辺は、古くから修験道の地として人々の信仰を集めてきました。のちに街道の要衝として宿場が整い、湯治や旅の文化が花開きます。
歌川広重による「箱根越え」の浮世絵には、夜明け前に小田原を発ち、提灯やたいまつの灯を頼りに急坂を進む旅人たちの過酷さなどが刻まれています。19世紀後半には外国人旅行者も訪れるようになり、箱根はやがて国際的リゾートの先駆けとなりました。
日本の絵師のみならず、海外から旅してきた画家たちもその風光に魅せられ、こぞって箱根を描きました。そうして育まれた作品群は、だれもが憧れる景勝地としての箱根のイメージを形づくっていきます。
特に富士山の風景は、浮世絵、水彩画、油彩画、写真など多様な表現で取り上げられ、日本の美の象徴としてアーティストたちが挑み続けてきた主題です。本章では、その豊かな成果をパノラミックに紹介します。
2.【ストーリーズ イケムラレイコ/丸山直文】
イケムラレイコ《始原I》2014‒2017年、ポーラ美術館 ©Leiko Ikemura
神話や伝承の舞台として知られる箱根は、今もなお現代のアーティストに尽きることのない創造の力を与えています。イケムラレイコは、歌川広重の《東海道五十三次》から着想を得て、精霊や不可思議な生命が棲む山あいの湖畔を描き、時を超えて紡がれる物語の詩情を映し出しました。
丸山直文は、水脈豊かな仙石原の風景を取材し、萌え出づる光と色彩の息づく世界を描いています。両者の作品は、箱根という土地に流れる自然の律動と記憶をとらえながら、鑑賞者を静かな憩いと心の旅へと導きます。
3.【地水火風 小川待子/パット・ステア】
パット・ステア《ウォーターフォール・オブ・エインシェント・ゴースツ》1990年、個人蔵 ©Pat Steir
小川待子は、鉱物の内に潜む美に魅了され、土やガラスが熱と重力、そして長い時間の力を受けて変化していく過程を、うつわや結晶のかたちに刻み込む陶芸家です。画家・パット・ステアは、絵具を滴らせ、重力の流れに身を委ねることで、偶然が生み出すリズムと形を追い求めています。
ふたりに共通するのは、悠久の時の深みから美を掬い上げようとする眼差しです。土やガラス、絵具といった素材が、地・水・火・風の働きと人の手の営みを受けながら変容し、世界の秩序を超えて新たな美を立ち上げる。その生成の瞬間が作品に宿っています。
4.【エコー ツェ・スーメイ】
ツェ・スーメイ《エコー》2003年、金沢21世紀美術館 ©su-mei tse
《エコー》(2003年)とは、アルプスの雄大な山岳を背景に、チェロ奏者でもあるツェ・スーメイ自身が奏でる音が岩肌に反響し、空間の奥へと波紋のように広がっていくさまを記録した映像作品です。その響きは複雑に折り重なり、やがて山々そのものが呼吸し、声を発しているかのような錯覚を誘います。
峻厳な自然の前に立つ小さなアーティストの姿は、崇高を求める人間の営みの象徴でもあります。音と映像が溶け合うその体験を通して、鑑賞者は自然と人間、そして時の流れとの深い対話へと引き込まれていきます。
5.【共鳴の旅―彼方へ】
アンリ・ルソー《エデンの園のエヴァ》1906‒1910年頃、ポーラ美術館
本章では、同館のコレクションを通じて、19世紀後半から今にいたるヨーロッパの崩壊と再生の時代に挑む画家たちの軌跡を紹介します。
印象派のモネやゴッホ、ゴーガンは、光と色彩の揺らぎのなかに永遠を見いだそうとし、スーラやシニャックは科学のまなざしで水辺の光景を点描に再構築しました。ルソーやルドンは、心の奥底から湧き上がる幻想を描き、第二次世界大戦後のドイツを代表するアーティストのキーファーは歴史の記憶と大地を重ねて再生の祈りを紡ぎます。
こうした画家たちが描いた創造の鼓動は、時を超えて私たちの心に共鳴し、新たな旅へと誘います。
【エピローグ 名和晃平】
名和晃平《PixCell-Deer#74》2024 年、ポーラ美術館 ©Kohei Nawa, Photo by Nobutada OMOTE, Courtesy of SCAI THE BATHHOUSE
名和晃平は、生命と宇宙、感性と科学技術の関係を探り、素材の力を引き出しながら新たなイメージを生み出してきました。代表的なシリーズ「PixCell」では、自然の象徴である動物の剥製を、無数の人工クリスタルボールで包み込み、現実と虚構の境界をゆるやかに溶かします。そして見る角度によって揺らぐ距離感は、人々の知覚と存在の関係を問いかけます。
展覧会の締めくくりには、2体の《PixCell-Deer》が向かい合い、見えないものの気配を浮かび上がらせます。
