“自分ができなかったことは我が子にもさせない”スタンス
一見、過干渉に映る母だが、一方でネグレクト気味な側面もあったという。「SNSを監視していると聞くと、過干渉に見えるかもしれませんが、必ずしもそうではありませんでした。母の行動は、常に『自分が親からさせてもらえなかったことは、私にも禁止する』というスタンスでした。
例えば、母は専業主婦でしたが、学校のお弁当を作ってくれることはありませんでした。かといって昼飯代含め、お小遣いを十分に与えてくれるわけではない。きっと母も学生時代そうだったのでしょう。
学生時代は常に金欠で、当然バイトもできず、欲しい服も買えませんでした。学校にはコンビニで5個入り150円ほどで売っている菓子パンを買い、同級生には両親が共働きで忙しいからと誤魔化していました」
結局のところ、母からの過剰な教育や管理、ネグレクトは、母の生育環境が原因であり、自分にはどうしようもない――。前述したような諦念が、次第に募っていく。
父に助けを求めたこともあったが、父は父で、反抗すると高圧的な態度を取った。
「父は大学受験に関して、東京一工(東大、京大、一橋大、東工大)以外への進学を認めないスタンスでした。当時の学力的には到底叶わないレベルだったので、それより難易度の低い志望校を提示したところ、激昂した父はスマホの使用制限をかけるようになりました。
そこから派生して『言うことを守れないならスマホを解約しろ』『自立したいなら高校を辞めて働けばいい』と極論でねじ伏せてくることも多々ありました。父としては、スマホに制限をかければ学力向上すると考えていたのでしょうが、私からしたら余計に学習に身が入らないだけでしたね」
「ボコボコにされたほうがラク」
またあかりさんは、自身の教育方針を巡って、両親が激しく喧嘩して、時には暴力沙汰に発展する光景も見てきた。そうしたことも影響したのか、父から圧をかけられると引き下がるしかなく、今でも両親の喧嘩がトラウマになっているという。あかりさんの体験は、れっきとした虐待に部類されるはずだ。ただ、未成年にとって、自身の受けてきた虐待の程度がどれほど深刻であるか、周りにSOSを発するべきなのかは判断しづらい。あかりさんもまた同じだった。
「ニュースでは、子どもが虐待死や遺棄された報道が流れるじゃないですか。当時はそれが私にとっての“虐待のイメージ”として定着していました。
だからこそ自分の置かれている状況が、保護者による教育なのか、しつけの範疇なのか、あるいは虐待なのか判別することは難しかった。『自分の家庭環境はまだ正常だ』と過小評価していたので、虐待を受けているのかどうかずっと疑問を抱いていました。
確実に自分は傷ついているのに、それを発信していいのかがわからない。そうした宙吊りな状態も余計につらかったです。メンタルが限界に近いときは、よく『もっとボコボコにされたい』と思っていました。わかりやすく外傷ができたほうが、被虐待者であると定義されてラクだなと」

