周りにSOSを発信できなかった理由
多感な時期では、同級生にセンシティブな話題を打ち明けるのも難しいはずだ。「次第に、私は虐待を受けていた理由を、自然と『自分が無能だから』と思い込むようになっていました。理由ができることで、理不尽な仕打ちも受け入れやすくなる。スマホの使用に時間制限があることも、成績が悪くて罵倒されることも、自分が至らないからと錯覚させていくんですね。
それは後に大学生になってから、精神科のカウンセリングにつながることで気づいたのですが、当時は無意識な防衛反応からそう思い込むようになっていました。
それから進学校に通っていたので、『私より厳しい環境のもとで両親から教育を受けている同級生がいる』と勝手に思い込んでいました。
『もっと過酷な家庭環境の同級生がいる』『そう考えれば私はまだマシ』『私は本当に助けてもらうべき立場ではない』……。そう思い込むことで、私はつらい自分を誤魔化して生き延びてきたからこそ、余計にSOSを発信できなかったんです」
感情を押し殺し、自分を偽ることで、つらい家庭環境に適応する――。こうして思春期を過ごしたあかりさんだが、大学に進学すると途端に、母からの干渉は薄れていった。
母もまた、祖母からの過度で過干渉な教育を受けていたのは高校までで、大学では寮生活だったと聞いていた。私も同年齢になって開放されたのだと、自由なキャンパスライフを夢見ていた。
ただ、長い期間にわたり、虐待を受けてきた弊害が徐々に露呈していく。冒頭のように、自分に自信をなくしたり、対人関係でつまずいたりと、日常生活で支障をきたすようになる。
近日公開予定の後編では、虐待の後遺症がなぜ起こったのか、そして現在どう向き合っているのかを明かす。
<取材・文/佐藤隼秀>

