「子どもと同志のような関係に」LAと日本の二拠点生活を送る岩堀せりが振り返る家族との10年

「子どもと同志のような関係に」LAと日本の二拠点生活を送る岩堀せりが振り返る家族との10年

多様性を身近に感じられる経験は海外移住ならでは

懐かしい創刊イベント!

― 移住は楽しみ半分、語学や治安などさまざまな不安があったかと思いますが実際に住んでどうでしたか?

 「たしかに治安はよくないので、未だに怖いなと思います。車を運転していても、日本では考えられない事件をたくさん見かける。車上荒らしもしょっちゅうですし、近所に泥棒が入ったみたいなことも当たり前にあります。日本とはレベルが違いますね。そういう恐ろしさは常に隣にあるかもしれないです。LAでは鍵は必ず閉めたか確認するし、玄関に入るときは急いで入るなど、そういう緊張感は常に持っていますし、寝るときも、もし今日泥棒が来たらどうやって逃げようかな、なんてそんなことばかり考えています。日本に帰ると、リラックスしますね。あと、私は英語が話せないので、アメリカの学校で大丈夫なのだろうかといった不安はもちろんありましたけど、それに関してはありがたいことにサポートしてくれる人が周りにたくさんいたので問題なし。私ひとりでは到底無理だったと思います。日々、助けられて生きていますね」


 


― LAに行くことで仕事のペースが変わることについてはどう思いましたか?

「それはもうしょうがないかなと。でも、思った以上に『otona MUSE』チームがLAに来てくれたので嬉しかったです。本当にありがとうございます。帰国したときに仕事があるのもありがたいですし、たまにしか帰ってこないのに継続的に撮影をしてくれて感謝の気持ちでいっぱいです。LAに来た直後は自分で選んでいることだからお仕事をいただけるだけで嬉しいし、ただただありがたい気持ちでいっぱい。でも、ビザの種類も変わりアメリカでも仕事ができるようになったのでせっかくだから働きたいなという気持ちも芽生えてきまして。さらに子どもが手を離れてきたタイミングで、そろそろ働かないと、というちょっとした焦りもあり、ここ最近はまた仕事をしたい気持ちが強くなってきました

― LAに住んでみて、他の国に住みたくなったことはありますか?

「暮らすという意味ではないですね。旅行で充分。最初からLAしかチョイスになかったですし、今もその気持は変わらない。LAは自然と都会のバランスもちょうどいいし、何より広いところに住みたかったんですよ。まあ、住んでみたら意外と田舎でしたけどね(笑)。基本、遊びに行くとなったらモールになり、どこも似たような雰囲気。おしゃれストリートと言われる通りも短いし5年間で十分に遊び尽くしました」


 


― 今、また引っ越すとなったらどこを選びますか?

「今はもう学校で選ぶ必要もなくなったので、家族それぞれ意見が分かれそう。子どもが学校に行かなくなるのなら日本に住みたいかな。でもLAで過ごした時間もすごく楽しかったので、日本を拠点にLAと行ったり来たりして、旅行するのがやっぱり楽しそう。二拠点生活はいいことしかないと思うので、続けていきたいです」


 


― ちなみに、せりさんは英語は苦手とおっしゃっていますが、改めて学びたい気持ちは?

「常にあります! 私、こう見えて10代のときから、週一で英会話教室に通うくらいには英語に意欲的なんです。この顔立ちなので、昔から当たり前のように英語が話せると思われますが、実際に話しかけられると黙ってしまう。毎回、相手に不思議そうな顔されるのが嫌でずっと学んでいるのになかなか身につかない。言語は才能だと聞いたので、残念ながら私に言語のセンスはなかったみたいです。子どもたちにも未だに勉強して、と言われるので、今でもアプリを駆使して勉強してはいるけど、単語がまったく覚えられないんです……。やってこなかったのではなく、きちんとトライしてきたけど上達しない感覚です。英語が話せたら最高なのになとは思いますね」

日本がやっぱり一番好き! LAと行き来して引き続きデュアルライフを楽しみたい

最近はおとなしくしています

― この10年を振り返ってご自身が大きく変わったなって思うところと変わらないと思うところを教えてください。

「変わらないのは英語を話せないところ。変わったのは……落ち着いたことかな。明日のことを考えるようになり、昔みたいにハイペースでお酒は飲まなくなりました。早寝早起きして、食生活も意識するようになって、規則正しい生活を送るようになりました。あと、友だちを増やしたいなと思うようになり人との関わりを持ちたいと思うようになったので、自分から声をかけるようにはなったかもしれないです。今まで出会わなかったような人と会ってみる機会も増え、交友関係は広がりました。ただ、二拠点が理由で変わったことはあまりないのかも? せっかくアメリカにいるんだから成長したいところですよね」


 


― 家族の形はここ10年で変化しましたか?

「子どもという存在から同志のような関係になってきているのはいいなと思いますね。大前提で子どもと親なのは変わらないけど、対等に友だちのように話せるようになり、ときにはこっちの悩みも相談するように。親子からチームになったことはとても心強いです」


 


― 10年は長いようであっという間ですが、昔思い描いていたオトナのイメージに近づいてるなと思いますか?

「しっかりしたとは思います。でも、一方で、精神年齢はそんなに変わらないのだなとも思いますね。私たち夫婦ももう50過ぎと50手前。老後の話をたまにするけど、あれ、意外とすぐじゃない!? と驚いています。ずっと私は、今が楽しければいいよね、今を楽しもうよみたいなタイプでしたが、未来について話すことも増えましたね」

夫婦仲良く♡

― 今描いている未来設計を教えてください。

「どのタイミングで日本に戻るんだろう、帰国したらどこで生活をするのか、LAのお家ををどうするか、など頻繁に考えるようになりました。日々状況が変わるので読めないですが、今後10年以内にいる場所は変わっていくのだろうなと。理想としては、日本拠点でいろいろなところに夫婦や家族で旅をするのがいいですね。やっぱり日本が一番好きだし、日本に家がないことは想像できないです。最後は便利なところがいいので、突然畑をやりたいなどと思わない限りは、都会に住みたいかな。日本とLAを行き来してる先輩夫婦がいて、そういう人たちを見てると、将来私たちもこうなるのかもねという話は夫婦でよくしています」


 


― 最後に、海外から『otonaMUSE』を読みどんな印象を受けるか教えて下さい。

「なんでしょう……値段が高い(笑)。LAでは日本の雑誌はなかなか置いていないので探すのも大変。発見すると嬉しいです。日本を離れてみて改めて思うのは日本の雑誌は海外の雑誌とはまた作りが違って面白い。読み物も多いし作りも細かいし、夢中になって読んでしまいます。若い雑誌も久々に読むと思わず熟読してしまいますね(笑)。これからも面白い本作りを楽しみにしていますね!」

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オトナミューズウェブ

「37歳、輝く季節が始まる!」がキャッチコピー。宝島社が発行する毎月28日発売のファッション誌『otona MUSE』がお届けする、大人のためのファッション・ビューティ・ライフスタイル情報!