第10話にしてタイトルの意味がわかる
さて、『もしがく』第10話は、それこそ、『マクベス』のようになっていく。トニ―(市原隼人)の捨て身(?)の活躍で、オーナー(シルビア・グラブ)の悪事がカセットテープに録音されていた。それを使ってオーナーと取引する久部。週120万円の重いノルマがなくなって1日2万円で済むことになりぐっと身軽になる。
久部は「やがて小屋主になる」と、おばば(菊地凛子)は予言する。久部はリカ(二階堂ふみ)にたきつけられて支配人夫婦(野添義弘、長野里美)を追い出し、WS劇場を我が物とする。
支配人の大門が劇場を出ていくとき、久部は「この世はすべて舞台。僕らはみんな役者にすぎない」とシェイクスピアの『お気に召すまま』の有名なセリフを引用すると、大門は「じゃあ、楽屋はどこになるってんだ?」と皮肉を言って去っていく。最終回は、ついに菅田と神木が対決か
久部は前から他人の言葉の受け売りばかりと言われていた。「この世はすべて舞台。僕らはみんな役者にすぎない」の意味も、蜷川の語る「ノイズ」もおそらくちゃんと理解していないだろう。主人公がこのまま尊敬できない小物ぽい悪役でいいのか、リカもいまのところただのいやな女なのだが、このままでいいのかいけないのか。
調子に乗っている久部におばばは「“おとこ”から生まれた男には気をつけろ」と忠告する。そんな人はこの世にはいない。つまり安泰と思っていたら、蓬莱(神木隆之介)の母親の名前が「乙子」であった。このへん「マクベス」をうまくアレンジしている。最終回は久部対蓬莱か。<※敬称略 文/木俣冬>
【木俣冬】
フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:@kamitonami

