会社を経営し、母の介護をしながら病院を探す。父が唯一「弱音を吐くことができた相手」は

会社を経営し、母の介護をしながら病院を探す。父が唯一「弱音を吐くことができた相手」は

弱音を吐いた瞬間
弱音を吐いた瞬間 / (C)美齊津康弘、吉田美紀子/KADOKAWA



学校から帰れば徘徊に出た母を連れ戻し、耳栓をして現実逃避のように勉強…。そんな子ども時代を過ごしたのは、ヤングケアラーだった美齊津康弘(みさいづやすひろ)さん。

お母さんの認知症が発症した当時、小学生だった美齊津さんは、明るく優しかった母が鏡に向かって一人激しく怒る姿を見て戸惑ったといいます。次第に母の病状は進行し、料理や掃除をはじめ、自分の入浴すらもままならない状態に。息子としての使命感、そして友達と同じように学生生活を送りたいという葛藤を抱えながらも、美齊津さんは症状が進行する母の世話に追われる日々を送ることになったそう。

もしも、家族の世話を子どもがせざるを得ない状況になったら? 美齊津さんの経験を知ることは、「ヤングケアラー」について考えるきっかけになりそうです。
小学5年生から介護が始まった僕のお話
小学5年生から介護が始まった僕のお話 / (C)美齊津康弘、吉田美紀子/KADOKAWA

※本記事は原案/美齊津 康弘、漫画/吉田 美紀子の書籍『48歳で認知症になった母』から一部抜粋・編集しました。



全部不安の表れだった気がします
全部不安の表れだった気がします / (C)美齊津康弘、吉田美紀子/KADOKAWA

お帰りなさいお父さん
お帰りなさいお父さん / (C)美齊津康弘、吉田美紀子/KADOKAWA

父は入浴も手伝い
父は入浴も手伝い / (C)美齊津康弘、吉田美紀子/KADOKAWA

夜中トイレに起きると…
夜中トイレに起きると… / (C)美齊津康弘、吉田美紀子/KADOKAWA




弱音は誰にも吐きませんでした
弱音は誰にも吐きませんでした / (C)美齊津康弘、吉田美紀子/KADOKAWA

遠くの病院行ってくる
遠くの病院行ってくる / (C)美齊津康弘、吉田美紀子/KADOKAWA

健康食品が効くと聞いては試し
健康食品が効くと聞いては試し / (C)美齊津康弘、吉田美紀子/KADOKAWA

ギリギリで踏ん張っていました
ギリギリで踏ん張っていました / (C)美齊津康弘、吉田美紀子/KADOKAWA


小学5年生が背負っていた誰にもわかってもらえないという孤独感、人生を変えてしまうほどの壮絶な経験の数々。まず私たちにできることは、そのような「ヤングケアラー」の存在を知ることです。

「母の認知症が進行していくに従い、どんどん不安が大きくなっていきました。今まで頼りになる存在であった母が崩れていくことへの不安、それに伴い自分の生活がこの先どのように変わってしまうのか分からない不安に常に怯えていました。
最初の頃は母の行動や言動を受け止めることができず、『これは夢に違いない。ある日目が覚めたらお母さんは元通りになるはずだ。』といつも考えていました。」と語ってくださった美齊津さん。
美齊津さんが背負っていた、誰にもわかってもらえないという孤独感には胸が締め付けられます。


著=原案/美齊津康弘、漫画/吉田美紀子/『48歳で認知症になった母』








配信元: レタスクラブ

提供元

プロフィール画像

レタスクラブ

レタスクラブWEBは、おいしいプロのレシピ&献立が3万件以上! レシピ、料理、家事、美容、健康など暮らしに役立つ読みものや、息抜きにぴったりの人気マンガでみなさんの「調子のいい毎日」を応援します。