
コミックの映像化や、ドラマのコミカライズなどが多い今、エンタメ好きとしてチェックしておきたいホットなマンガ情報をお届けする「ザテレビジョン マンガ部」。今回は、2025年8月27日にX(旧Twitter)に投稿された『外国人嫌いの祖父が語る、満州引き揚げの話』をピックアップ。
本作はCOMIC熱帯で連載していた『私たちに「戦後」はなかった-日常を戦場にするPTSD-』の第2話にあたるエピソード。作者の尾添椿さんがX(旧Twitter)に本作を投稿されたところ、3.000件を超える「いいね」と共に多くの反響コメントが寄せられた。本記事では作者の尾添椿さんにインタビューを行い、本作について語ってもらった。
■祖父が語る満州引き揚げの真実…

外国人嫌いの祖父はあまり過去を語らない人で、孫の麻由子は戦争中の話を聞いたことがなかった。ある日、麻由子が戦争中のことを尋ねると、祖父はポツポツと「満州引き揚げ」の体験を語り始める…。「あれは虐殺だ」衝撃の言葉で始まった祖父の戦争体験。数々の運命の分かれ道で、祖父が一つでも間違った選択をしていれば“今”の生活はなかった…。
「そもそも戦争ってまだ終わってない」という祖父の言葉には、重い現実を突きつけられる。満州引き揚げの壮絶な体験談には「戦争反対」「まだ戦争は終わりそうにない」「差別は許されるべきではないが一種のトラウマは仕方ない」「声をあげて泣いた」など多くの反響が寄せられている。
■作者・尾添椿さん「トラウマこそ虐待の元凶」

――満州引き揚げをはじめ、お祖父様の戦争体験などさまざまな戦争体験が描かれていますが、戦争体験を漫画にした初めのきっかけをお教えください。
パスポートを申請する際に戸籍を取り寄せ、分籍している私の単独戸籍の出生欄に両親の名前が記載されていて「結局この名前を見るのか」と狼狽しながら、家族のことを思い出しました。
家、両親、祖父母のことを思い出してから、祖父は戦争に行き暴力で溢れた満州に適応してしまったこと、父親は祖父に虐待されていたこと、祖父は亡くなる前に私に戦争体験を語ったことを思い出しました。
“トラウマ”こそ虐待の元凶ではないかと思い、すぐにペンを取りました。
――満州引き揚げはいまも固く口を閉ざす人が多いお話です。漫画として作品を作るうえで難しかったことや、配慮した点があればお教えください。
引き揚げが特に壮絶ということは歴史から知っていました。
満州引き揚げ体験をした御子柴さん(第二話)のほか、数人に満州引き揚げとシベリア抑留のお話を伺っています。
壮絶で凄惨な話をいつか漫画にしたいと思う上で、凄惨な描写をどこまで見れるように表現できるかは難しかったです。
闇市にモノを運ぶための密漁船にすら引き揚げの人が押し寄せ、言葉どおり蹴落としあって船に乗り込んで帰ってきた人が大勢の中の一人が、御子柴尋一さんです。
帰国してからは上手くいった御子柴さんは、晩年まで口を閉ざしました。
生きるために色々なものを踏みつけ、傷つけ、犠牲にして、それでも生き延びた人が多いから口を閉ざすのだと思います。
犠牲の上に成り立った歴史があることを知られたくないという思いが、満州引き揚げの方にはあると感じました。
――本作のなかでとくに思い入れの深いシーンや台詞があれば理由と共にお教えください。
第二話、御子柴尋一さんの
「外人見て嫌な顔する俺みたいな老人がいる時点で戦争は終わってない」です。
引き揚げ後、移住地の開拓と博才で莫大な富を得た御子柴さんでも、強い差別意識がありました。
その根本には引き揚げ体験があり、戦争に行ったからこそ終わらない。
もう一つは書き下ろし、渡部ヤスシさんの
「親のトラウマを消すために生きてしまうという呪い」という毒親の連鎖を一言で表したセリフです。
コマ割り、セリフ回しともに恐怖感を出せたと思います。
――尾添 椿さんはPTSDをテーマに多くの作品を発表されています。非常に難しいテーマですが、作品を作るうえでのこだわりをお教えください。
一作目『生きるために毒親から逃げました。』を発表した当時は、「こんなの虐待じゃない!」と言われました。
今は虐待が認知され、そう言われることはなくなりました。
僅かな倫理の動きを見逃さないことに気を遣っています。
――最後に作品を楽しみにしている読者へメッセージをお願いします。
マンガボックスで『解毒のススメ』を連載中です。
毒親と絶縁し、トラウマの元凶を追いつめ、現在は解毒中です。
どれだけ毒が抜けても漫画を描き続けるので、よろしくお願いいたします。

