別れ、諦め――涙なくしては見られない
演劇だとこれで終わりでもおかしくないけれど、テレビドラマだからか、後日談がついてくる。2年後、久部は偶然、かつての劇団員たちが、『夏の夜の夢』を稽古している現場を目撃する。みんなとても楽しそうに笑っている。この稽古はどこにも発表する予定はなく、ただ、稽古を楽しんでいるだけ。なんだかそこに筆者は胸を突かれた。
久部は顔を出さずそっと去っていくが、一度、手放した重いシェイクスピア全集がまた戻ってきて、それを自転車に乗せて国立代々木競技場の前を走っていく。最後、主人公が颯爽と外を走っていくのはテレビドラマによくあるパターンだ。久部はもう一度夢見て生きていくのか。それとも――という余韻のある終わりには、別れや諦め、集団の崩壊を経験した者ならば、涙なくしては見られない。
“選ばれてない人たち”の物語
「僕は自分が”選ばれた人間”だとはまったく思ってない。たまたま運がよかったことと、いい出会いをしたこと。その恵まれたチャンスを生かす力はあったとは思うけど、とてもじゃないけど何万人にひとりの才能の持ち主だとかは思わない。日本のテレビ史、映画史、演劇史に残りたいとも思わないけど、それ以前に残れる気がしない。でも、そういう僕でも出来ることはあると思う。選ばれてない人たちが、『この物語は自分たちのことだ』と思ってくれて、励みになるものを書く。それは選ばれた側の人間には出来ないと思うんです。選ばれてない側だからこそ描くことが出来る気がして」
『三谷幸喜 創作を語る』(13年 KADOKAWA)で三谷は、史実を元にした物語を書くときのテーマをこう語っている。その一例は、集団が崩壊していく苦い青春物語だった大河ドラマ『新選組!』(NHK)であった。『もしがく』は三谷の構成作家時代の体験も取り入れて、蓬莱に自身を投影して書いている物語であり、蜷川幸雄や井上ひさしという実名も出てきたものの、ジャンルとしては史実ものではないだろう。でも三谷の語ったことに近いものがあるような気がした。

