食物連鎖の真ん中で|狗飼恭子

食物連鎖の真ん中で|狗飼恭子

本当に今年は熊が多い。

山の中にこだまする「熊の目撃情報がありました」という村内アナウンスを何度も聞いたし、徒歩十分圏内でも目撃情報があった。

熊がいることは知っていた。でも「居る」と「出る」では大違いだ。自分の住居の近くに熊が出る可能性があるというのはそれなりに恐ろしい。

わたしの住む建物は駐車場との位置が少し離れており、ほんの一、二分だが山の脇を歩いて帰らなければならない。だから車から降りる前に周囲を大きく見まわして熊がいないことを確認するようにしている。そしてなるべく大きな音で車のドアを閉める。

夜遅くに外へ出なければならないときは、傘とか乗馬用の鞭とか武器になるものを持ってそれを振り回しながら歩く。

お世話になっている農園は今のところ無事だけれど、そこに通っている人が、柿の木の実が獣に食べられているあとがないかを常にチェックしていると言っていた。

去年までは、最寄りの居酒屋へ往復一時間かけて歩いて行ったりしていた。しかし今年はそれもできない。もともと静かな村がますます静かだ。ときおり山道から熊鈴の音が聞こえてくるだけ。

こんなにみんなが熊に警戒しているのは、村に住み始めて四年目ではじめてだ。

自分の周囲に、自分を喰らうかもしれない危険な生き物がいるかもしれないということ。それは、今まで経験のない感覚をわたしにもたらしている。

「もしゾンビがいたら」

を誰もが一度は考えたことがあるだろう。武器をこう使って倒すとかまずは走って逃げるとか対策も想像したことがあるかもしれない。しかし「ゾンビはいない」と思っているからそれは娯楽として成立するわけで、実際にゾンビに襲われる可能性がすぐ近くにあったら楽しめない。

昔、ドクターフィッシュなるものが流行ったことがある。

小さな魚がたくさんいる水の中に足をひたすと、魚たちが寄ってきて足の角質を食べるというものだった。

好奇心から体験してみたけれど、わたしはすぐに水から足を引き上げた。自分が生き物に食われるという経験が、想像以上に恐ろしく感じられたのだ。

ヒルに血を吸われたこともある。あれも恐怖だった。ヒルはわたしの足から血を吸ってみるみる太っていった。

人間は自分が捕食の頂点だと思っている節がある。わたしもそうだったのかもしれない。だからこそ、自分が捕食されるかもしれないという事実に直面して驚くほどうろたえたのだ。それ以来、人を食う生き物が出てくるタイプの娯楽作品がホラーにしか思えなくなった。人コワと言われる「人間が一番怖い」とかいう作品を見ると、「絶対人間を食らうもののほうが怖いけど」と思ってしまう。ようは実感の問題だ。

食物連鎖に組み込まれる。それは生き物としての一番の生理的恐怖に違いないから。

東京にいたらこんな感情は味合わなかったかもしれないな、と思う。味わったことがわたしの人生にどんな影響を与えるのかはまだ分からない。

今年は鹿も猪も、今までの年とは比べ物にならないほど増えている。車を運転する人や畑をやっている人はそれにも困っているようだけれど、わたしにはそれほど害の実感はない。鹿も猪もわたしを食べることはないのだから。

配信元: 幻冬舎plus

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