
漫画家生活30年以上、少女漫画界のレジェンド・神尾葉子氏が、自身の歩みと創作の裏側を“言葉”で語る初のエッセイ集「花より漫画」が、12月11日より発売開始された。本エッセイでは、漫画家になったきっかけや、漫画家としての試行錯誤の日々、「花より男子」誕生秘話、編集者や読者との忘れがたいやり取り、メディア化についてなど、漫画創作の裏側が明かされている。
また作品の源でもある神尾氏の日常にも触れ、心を癒してくれた猫との暮らし、旅先の記憶、大切な人々との交流などバックグラウンドまで書かれていて…まさに「人生は物語より物語」を証明するようなエピソードが詰まっている。
神尾氏ならではの、あたたかくユーモアに満ちた“日常のドラマ”の数々は、読み物として面白いだけでなく、読んでいるとなぜだか心のコップが満たされて涙が溢れてくるような、そんな不思議なエッセイだ。
このたび本エッセイの発売を記念して、神尾氏にインタビュー。少女漫画と少年漫画を描く上での違いや、作品やメディア化との距離の取り方、そして新しいことに挑戦し続ける理由などさらにディープに語ってもらった。
■「そろそろ少女漫画(を描くの)は卒業だな」と思った
ーー今回は初のエッセイということですが、執筆していく中で、自分自身への新たな発見はありましたか?
これまで漫画しか描いたことがなかったので、本当に初めての経験でした。自分のことを書くというのがすごく苦手で、このエッセイの出版が決まってから、実は4カ月ぐらい書けなくて、どうしよう…と焦ってました。でも、数本書いてみたら慣れてきて、「あれ?いけるかも」と。1カ月で20本書くことができました。書き出すまでは自転車に乗れずにふらついていたのに、いったん動き出したら、締切という坂道をブレーキなしで転げ落ちていくみたいな感じでした。
このエッセイをきっかけに、自分の人生を振り返っていったので、回顧録みたいになっています。「花より男子」を描いていた頃など、その時々自分がどういう気持ちで、この作品とどう向き合っていたのかを記憶の扉を開け閉めして、不思議な気持ちになりました。その時考えていたことを、ほぼすべて文章にすることができたので、うれしかったです。
ーー改めて自身の歴史が整理できたのですね。神尾先生は19歳の頃、将来に迷っている際に突然漫画を書こうと思って10日間で描き上げ、それが準グランプリを受賞したことがきっかけで漫画家デビューしたとのことですが、神尾先生の初めての漫画はどのような内容だったのでしょうか。初めから明確に少女漫画家と決めていたのですか?
私は昔から少女漫画雑誌の「別マ(別冊マーガレット)」が大好きで、「別マ」に投稿すると決めて描きました。内容は、年下の高校生の男の子を好きになる大学生の女の子の話です。今思い返しても本当にひどい仕上がりで、よくこれで編集部に拾ってもらえて漫画家になれたなと思うような作品でしたね(笑)。当時としては、大学生の女の子を主人公にするというのが少し大人っぽくて珍しかったのだと思います。余談ですが、いろいろあって別マではなく週刊マーガレットの作家になりました。
ーー神尾先生は、少女漫画雑誌から少年漫画雑誌へと転向しています。本エッセイでは、その理由について「少女漫画を描くことに限界を感じていた。少女漫画界で必要とされなくなってきた」とおっしゃっていましたが、それは“恋愛のトキメキ”を描ききったということなのでしょうか?
トキメキを描ききったと言いますか…恋愛ものは普遍的なテーマなので、人を好きになる気持ちというのは年齢に関係なく描けるとは思うんです。ただ、私が描いてきた少女漫画の世界は10代や20歳前後の女の子たちが登場することがほとんどでしたし、読者も若い女性が多かったということもありました。昔から「少女漫画は主人公の年齢に近ければ近いほどリアルな話が描ける」と言われていて、私自身もその年代から離れて行ったので、当然だと思っていました。25年以上描いていて、パッケージ化された“学園もの”というシチュエーションにも少し飽きてしまったというのもありましたね。そんなわけで「そろそろ少女漫画は卒業だな」と思ったんです。
■「『分からないから、読まない』というのが作家は一番悲しい」
ーートキメキではなくリアルさなのですね。少女漫画は基本的に“恋愛”がテーマになっていて、少年漫画は“勝利”がテーマになっていることが多いですが、神尾先生は漫画家として違いをどこに感じましたか?
少年漫画誌とはいえ女性も読むとは思うのですが、読者の割合的には男性の方がやはり多いと思います。とにかく“男性が読む”という前提の下に描くので、まずは“分かりやすさ”が重要になるのではと思っていました。当然、少女漫画のような変則コマ割りは避けて、読者が迷わないように、読みやすくしなければいけないなと。
また描く対象となる“カッコいい男の子”像も違います。少女漫画には、いつも助けてくるカッコいい男の子、女の子にとって王子様的な都合の良い男の子が出てきます。私はそういう男の子が出てくる漫画を読むのも描くのも大好きなんですけど (笑)。もちろん少年漫画にもそういった男の子が必要ないわけではありませんが、男性読者に「こんな男いないよ」と思われてしまったら、先を読んでもらえなくなってしまう。だから、男性が感情移入できるようなキャラクター作りを、念頭に描きました。それはもう、当時の「少年ジャンプ+」の担当さんに、とにかくいろいろなことを教えていただいて、まるで新人になったような気分でした(笑)。
ーーコマの大きさ自体も、少女漫画と少年漫画では違うのでしょうか?
違いますね。特に「少年ジャンプ+」の漫画は基本的にスマートフォンで読むものですから、小さなコマだと拡大しないと見られません。電車の中などでスピーディーに読んでもらえるような、分かりやすい画面構成も求められます。また少女漫画だと、セリフや表情といった“情報”で察してもらえます。女性はエモーショナルな感覚でも楽しんでくれるのですが、男性向けとなると、そこは気を付けるべき点でした。
このキャラクターはどこに立っているのか、誰に向かって喋っているのか、これはどのタイミングの言葉なのかといった状況設定が明確にするのが大切だと思いました。「分からないから、読まない」というのが作家は一番悲しい。さまざまな違いがあって、大変勉強になりました。
ーーそんな違いがあるのですね。同じ高校生を描くにしても、少女漫画ではより“気持ち”にフォーカスされるので年齢が離れるにつれて描きにくくなるけど、少年漫画のキャラクターはある程度、主人公の年齢ゆえの心情のリアルさは関係なく描けるということでしょうか?
そうですね…一概には言えないですが、私が「少年ジャンプ+」で描いた「花のち晴れ〜花男 Next Season〜」の主人公・神楽木晴という男の子は、すごくお金持ちで物理的にはなんでも持っているようだけど、何も持っていない。いつも人と比べてしまい、どこか卑屈なところがある。そういう男の子がきっかけは好きな女の子のためなんだけど、どんどん男として成長する話を描きたいなと思ったんです。だから、高校生の話ではあるけど、恋愛のトキメキのような10代ならではの瑞々しい感情の揺れではなく、“成長”という普遍的なテーマを扱ったのでまた違ったのではと思います。
■道明寺は「気付いたら、主役に踊り出てきてしまった」
ーーちなみに、先生自身が今ハマっている漫画はありますか?
漫画を読むのは今も大好きなのでよく読んでいます。最近だと「チ。-地球の運動について-」が面白かったです。仕事先の方から「地動説と天動説のお話だ」と紹介されて、すぐに全巻購入し、一気に読みました。ああいう難しいテーマを扱っている漫画は読んでいてとても勉強になりますし、学びがある作品というのを私はあまり描いたことがないのですごく憧れます。ただ面白いだけというのももちろん好きですが、知らないことが知れることがいいなと思いました。あとは「ゴールデンカムイ」も好きです。あれを読んで、熊が怖くなりました (笑)。
ーー本エッセイを読んでいて、「花男」の誕生秘話にも衝撃を受けました。元々は花沢類が
ヒーローポジションだったということですが、どのあたりから道明寺司がヒーローポジションに切り替わったのでしょうか?
あんなにクルクルした髪型のキャラクターがヒーローだなんて、ありえないですよね(笑)。初めは本当に悪役として登場させたので、すごく嫌な人間でした。でも、少女漫画なので、ただ意地悪なだけの救いようがないキャラクターではダメだなと。読んでいる人が怖いじゃないですか。だから、小学生の男の子が好きな子に意地悪をするような、ちょっとバカっぽい感じに変化させていったんです。そうしたら、すごく一途な男の子に変化してきて、私も描いていくうちに道明寺がかわいくなってきたんですよね。気付いたら、主役に踊り出てきてしまったという感じです(笑)。
ーーでは、「ここから切り替えよう」というような、明確なタイミングがあったわけではないのですね。
主人公の(牧野)つくしが他の人たちからいじめられる、道明寺が俺だけがいじめていいんだよ、とつくしを庇っていく。どんどん道明寺がつくしを本気で好きになっていく。その辺りからでしょうか。それでも、花沢類がつくしの相手役になるという余地はずっと残しておいたんです。類のことも丁寧にキャラクターをつくっていたので。でも、道明寺が思いがけず育ってきてしまったというのが正しい言い方ですね。
私だけじゃなくて、長く連載されている漫画家さんには、描いているうちに「あれ? こっちの方がいいんじゃないか?」と、方向転換する方は他にもいらっしゃると思うんです。私は連載中、20巻ぐらいまでは花沢類か道明寺かという余地を残しておきました。どちらを選ぶか、この先のエピソードで変化があるのではないかと思っていたからです。当時、読者から「もう絶対に花沢類!」「なんで道明寺なの?」というお手紙をすごくたくさんいただきました。大人の女性は道明寺が好きな方もいらっしゃいましたが、年齢が若ければ若いほど花沢類が人気でしたね。
■「どうしてもキャラクターに“癖”をつけてしまう」
ーー私はそんな道明寺の“愛すべきバカ”さが大好きです。どうしてあんなに絶妙な面白さと愛くるしさのおバカさがナチュラルに描けるのでしょうか?
ありがとうございます(笑)。間が抜けているアホっぽさみたいなものを入れていこうかなと思ったんです。文字が読めないとか、ことわざを間違える、とか。見た目は怖いのに抜けているところにギャップをもたせたのが良かったのかもしれないですね。
ーーでは、特に何かを参考にしたわけではなく、神尾先生の中から自然に生み出されたということでしょうか?
自然にと言いますか…私自身も初めの方は読んでいて道明寺がちょっと怖いなと感じていたので。その息詰まるようなシリアスさに少し穴を開けて空気を入れてあげるような、隙がある感じにしたいなと思ったんです。好きな女の子にはすごく弱い男の子みたいな感じをイメージしていったら、あの道明寺になっていきました。
ーーそんな神尾先生は、道明寺はもちろん花沢類も含めて「花男」の“F4”は誰もタイプではないと言っていましたが、一体どんな男性に心を惹かれるのでしょうか?
すごく普通の答えで申し訳ないのですが(笑)。ブラッド・ピットが好きです。単純にビジュアル的に綺麗だな~と。今も渋くて素敵ですが、もう少し若い頃の彼が、どストライクでした。
ーー世界のブラピですもんね。でも、神尾先生の作品にはブラッド・ピットのようなストレートにカッコいいキャラクターは登場しない印象があります。
どうしてもキャラクターに“癖”をつけてしまうんですよね。類も、ただカッコいい王子様というわけではなくて、ちょっとつっけんどんじゃないですか。なんとなく私の癖で、登場人物をストレートな設定にはしないところがあるかもしれませんね。
■「“漫画は漫画、ドラマはドラマ”と割り切っている」
ーー「花男」は社会現象を起こすほど大ヒットしたドラマをはじめ国内外問わず、多くメディア化されています。他の作品もメディア化が相次いでいますが、神尾先生はメディア化の際には、基本的には相手側に委ねて自身とは距離をとっている印象でした。なぜその距離感を保つことができるのでしょうか?
理由はいくつかあります。まず一つは、原作者の言葉というのはすごく強いので制作の方たちに「これは嫌です」と言ったら、その言葉はとても重く響くと考えています。ただ「嫌だ」と言いっ放しにするのではなく、「こうしてください」「もっとこういう要素を入れてください」と代替案を出すのが責任ある態度だと思っていて。私の場合、メディア化されていた時期は連載でとにかく忙しくて、制作に原作者として加わるのは無理だったというのもあります。
ラッキーだったのは、その時々の制作チームの中に、原作をめちゃくちゃ読み込んでくださっていて、「大好きです」という方が必ずいらっしゃったんです。海外でのメディア化の時も同様でした。だから、「それならもう預けてしまおう」と信頼して、全面的にお任せしていました。あとで脚本を見せていただくこともありましたが、ほぼ口を出したことはありません。それだけ、驚くような改変はされていなかったということでもありますね。
ーー日本のメディア化と、海外各国のメディア化で違いはありましたか?
一番大きな違いは“長さ”ですね。日本のドラマはだいたい9話から10話くらいですよね。でも、たとえば中国や台湾、タイなどは一つのタイトルが長いです。中国にいたっては50話くらいあるんです。だから、すごく原作に忠実に作ってくださっていたと思います。
私が「そうしてください」とお願いしたわけではないのですが、尺がたっぷりある分、原作通りに作られていることが多い印象でした。エピソードが大幅にカットされることも少ないですし、登場人物が統合されるようなこともあまりなく、原作にそったそれぞれのキャラクターが出てくるのも楽しかったです。
ーーでは、国内外問わずメディア化のメリットとデメリットは感じましたか?
デメリットというのはほとんどないのですが、強いて言えば“ドラマは決められた回数で終わらせなければいけない”ということですね。連載が続いていても、ドラマは全9話などで完結させなければいけません。これはテレビドラマの性質上、当たり前のことなので、最後がドラマ独自の終わり方になるのは「そういうものだよね」と思っていました。
読者の方の中には「原作通りにやってほしかった」という方ももちろんいらっしゃったと思いますし、実際に私もそういう声は聞いていました。でも、私は「漫画は漫画、ドラマはドラマ」と割り切っていて、皆さんにもそれぞれ別物として楽しんでいただけたら一番うれしいなと思っています。
■「(つくしを)類の方へ戻そうとするけど、どうしても道明寺の方へ行ってしまう」
ーーお話を聞いていても、本エッセイを読んでいても、神尾先生自身と作品自体との間にも一定の距離を取っているように感じました。
漫画を描いていた時は、四六時中その登場人物たちのことばかり考えていました。私が彼らのことを考えている以上、それぞれの登場人物全員に“私”という人間が入っていると思います。私が描いていますが、常に俯瞰する自分がいて、自分が読者になった目で「こういう展開になったら面白いのでは?」ということを考えて作っていました。その展開の中に登場人物たちを入れて動かしていく、という作り方をしていましたね。
――なるほど。私は、特に少女漫画は主人公に作者の方の主観、いわゆる一人称的な視点を入れているのかなとイメージしていたので驚きました。
もちろん主人公に一番自分を入れてはいます。当時は隔週連載だったので、とにかく「続きが気になる話にしよう」と思っていました。2週間に1回発売されるので、次号も買ってもらえるような、楽しみにしてもらえるような展開を常に目指していたんです。よく「少年漫画っぽい」と言われるのですが、次から次へと新しい展開が出てくるようにお話をどんどん転がしていくような作り方をしていました。
ーー人物の視点からではなく、まずストーリー全体の“箱”、枠組みを作っているということですね。少女漫画的な作り方と少年漫画的な作り方、両方をミックスしていたからこそ、少年漫画好きの方もハマる少女漫画になっているのでしょうね。エッセイには、ストーリーを作っていく中で「登場人物たちが勝手に動き出していく」とも書かれていて、とても興味深かったです。
私だけではなく、おそらく世の中の漫画家は皆さんそうだと思うのですが、だんだん魂を込めていくと、キャラクターが勝手に動いていくようになるんですよね。彼らの動きに合わせて、私がストーリーを構築していく、という感覚です。
ーーちなみに「花男」を描く中で、登場人物が意図せず動き出して一番困ったことを教えてください。
それはもう、つくしですね。気持ちが花沢類から道明寺へ、ぐーっとシフトしていってしまって。私は一生懸命、花沢類の方へ戻そうとするのですが、どうしても道明寺の方へ行ってしまうんです。だから、「そんなに苦労したいんだね。まあしょうがない」と思いながら描いていました(笑)。
■「『花男』などを連載している時も違う漫画を描きたくて仕方なかった」
ーー「花男」や「キャットストリート」など、神尾先生の作品には“学校”が舞台のものが多く、またいじめや不登校などの学校のネガティブな面も扱われています。神尾先生自身も学校がなんとなく嫌いだったとのことでしたが、どんなところに“嫌”を感じていたのでしょうか?
学校は結構な日数を休んでいました。私は今でも、毎日同じことを繰り返すのが苦手なんです。同じ電車に乗って、同じ教室に入って、同じ席に座って…。それがすごく嫌だったというわけではないのですが、性に合わないというのが正しい言い方ですね。卒業に必要な出席日数を計算しながら通うくらいでしたから。“学校”というシステム自体が合わなかったんでしょうね。学校よりも、一人で家にいて趣味に没頭する方が楽しかったんです。
ーー同じことを繰り返すのが苦手とのことですが、その分、コンフォートゾーンから抜け出して新しいことにチャレンジし続ける、その姿勢がとても魅力的です。2026年1月15日には、神尾先生が原作・キャラクター原案・脚本を手がけた完全新作アニメーション「プリズム輪舞曲」が、Netflixで世界独占配信もされます。常に新しい扉を開けていく神尾先生ですが、これまでの人生を振り返って、最も決断に勇気がいった挑戦は?
やっぱり漫画家になったことだと思います。当時は景気が良い時代で、ある程度好きなところに就職できるような状況でした。そんな中で「漫画家になる」と言ったので、周りからは「何を考えているかわからない」といった感じで反対されました。
でも、私は新しいことをするのが好きで。「花より男子」などの漫画を連載している時は腰を据えていましたが、何か違う漫画を描きたくて仕方ありませんでした。その時に考えていたのが「キャットストリート」という漫画で、連載が終わってからなんとか実現できたのでうれしかったです。アニメのお仕事に関わらせていただいたのもすごく刺激的で、新鮮で楽しかったですね。
■「“みんなで作る”ということ自体が初めての体験だった」
ーー初めてアニメ制作をしたことで、創作者として新しく学んだことはありましたか?
本当にいろいろ大きな経験になりました。今回、私が大元の脚本を担当したのですが、どうしても少女漫画寄りに振り切ってしまう部分があったんです。アニメーションの中には三角関係が出てくるのですが、それだけの話ではなく、あくまでメインテーマはそれぞれの成長と“青春群像劇”。監督やWIT STUDIOの方々とストーリーを練り上げていき、みんなで調整しながら、大きな流れを作っていきました。
画家を目指す女の子が主人公の物語なので、芸術面でのよりアカデミックな部分についても話し合いました。スタッフ全員で時間をかけて考え、最初のラフな脚本から最終稿へと仕上げていったんです。 漫画は基本的に一人で描くものなので、“みんなで作る”ということ自体が初めての体験で、非常に新鮮で心強く、楽しかったです。
ーー最後に、神尾先生は、時代がアナログからデジタルになったことで、漫画もPC一つでどこでも描けるようになった、旅をしながら描けるから“自由”だと言っていましたね。神尾先生は、今後創作者としてどのような人生を歩んでいきたいと考えていますか?
まだいろいろと挑戦したいなと思っています。小説を書いたり、エッセイもまた書いてみたいですし、PCを一つ持って海外、たとえばヨーロッパなどへ行って、そこで思いついたことを書いたりもしたいですね。漫画も描きたいと思えばどこでも描ける時代になったので、その時が来たら“また”と思っています。
■取材・文=戸塚安友奈

