「ボートレーサーだったタカちゃん」500円で“予想”売ります。元選手のセカンドキャリア|Z李

「ボートレーサーだったタカちゃん」500円で“予想”売ります。元選手のセカンドキャリア|Z李

SNS総フォロワー100万人超のインフルエンサーであり作家のZ李さんの新刊『君が面会に来たあとで』が11月19日に発売されました。

歌舞伎町を生きる人々の葛藤や、人情味あふれる人間模様などを恋愛、ホラー、SFなど様々なタッチで描いたショートショート集。本作から、試し読みをお届けします。

 

公営ギャンブルの中で、一番的中率が高いとも言われているボートレース。舟券を握る熱い戦いの裏には、「予想師」と呼ばれる、レースの予想を売る人たちが存在するそう。

今回の主人公は、元ボートレーサーの「予想師」。現役時代の経験をもとに、はたしてどんな予想を披露してくれるのでしょうか?

 

*   *   *

ボートレーサーだったタカちゃん

後輩のタカちゃんは昔、ボートレーサーだった。

とはいえ、一流選手なんかではない。はっきり言って、世間では知らない人のほうが断然多いし、ましてや、タカちゃんの選手時代の後輩で現・舎弟のケンタなんて、知っている人はほとんどいないだろう。

競艇場に一緒にいても、誰にも話しかけられないんだから、相当マイナーな選手だったんだよ。

でも、そんなことは本人が一番分かってると思うんだよね。

「トップ選手よりもデカい金を、予想で稼いでやる」

ってのがタカちゃんの口癖だ。

Xで“元選手”を売りにして、五百円だかで予想を売っている。

「これからは、場立ちじゃなくてSNSで、全国に届けるんだ」なんて言ってね。

これはタカちゃんの土俵を変えてのリベンジでもあるんだ。

「兄貴なら賞金王ですよ!」

ってケンタがかぶせてくるのが、定番の流れ。俺はそれを見て「ふふっ」って笑いながら、やつらの予想を聞くんだ。

 

多摩川競艇十五時十分。

今日もその予定のはずだった。

だが、今日のタカちゃんはいつもと違った。

なんつうかこう、目がポンでも食ったみたいに据わっててさ。なんだろうな、死地に向かう兵隊さんじゃないけど、分かる? 分かるわけねえか。見ないと分からないもんな、この雰囲気は。

いつものタカちゃんを演じてる感じというか。「いつもの俺だぜ」って感じを、一生懸命出してるんだけど、全然違うんだ。

隠しきれない悲壮感。うん、これが一番、分かりやすいかもしれない。

とにかく、なんか腹に決めてるもんがあるんだよ。でも、それを出さないようにしている。

「タカちゃんよお、ゼニ詰まってんだろ? なあんかおかしいよな」

「えっ? 兄貴、そんなことないですよね? そんなことあったら、兄貴は自分に言うもんね!」

集中してるだけ。タカちゃんはそう返した。

でもね、使ったらいけないゼニをぶちこんで、いなくなっちまったやつなんて何人も見てるからさ。分かるんだよね、俺は。それこそ、雰囲気ってやつで。

こいつは、仲間内にも言えない何かを抱えてて、それを目の前のレースでどうにかしようとしている。雰囲気でわかるんだマジに。

ケンタはバカだから分からないかもしれないけど、少なくとも俺には分かる。

「タカちゃんよお、セカバンちょっと見せてみなよ」

ずっと膝の間でロックしてるから、こりゃあ大金入ってるぞって思って、そう聞いたんだ。

「なんすか? これ前から持ってるやつですけど?」

あれ? 勘繰りだったか。 

手渡されたセカバンには、くしゃくしゃのティッシュに、そんなに厚くない財布が入っているだけだった。

「いや、ヴィンテージのこういうの、俺も買おうと思って」

「何言ってんすか。これヴィンテージじゃなくてただのボロなのに」

なんなんだろう。ぶちこもうとしてるゼニ忍ばせているわけでもないし。

それなら、この隠れた悲壮感的なヤツは、一体なんなんだよ。

 

ほら、またやってる。

周回展示をこんな真剣な目で見るタカちゃんなんか、過去に見たことがない。1マークを目視でガン見して、2マークなんか双眼鏡で見てるもんな。

双眼鏡はこれまでだって持ってきてる日はあったけど、使ってるのなんて見たこともない。もはやファッションだと思ってたくらいだ。

「澤田の2コースは3に絶対叩かせない。1-3は消す。それなら1-2-4か1-4-2しかない。だけど……」

確信めいた語り口のわりに、タカちゃんはうんうんと悩んでいた。

「だけど、何?」

「そこだと、安いんす」

たしかに、1-2-4と1-4-2は8倍くらいしかない。合成オッズで4倍くらい。

でも、タカちゃんはそういうところも、普通に狙いにいくスタイルのはずだ。

「やっぱり6コース、畑しかいないか。澤田と若林がやり合って、2、3と流れれば……吉田と最内を、最後に畑が差せば1-4-6になる」

なんだかなあ。もうタカちゃんの中では、舟や選手じゃなくて、オッズが走ってる状態だ。

パンクするやつは、最後の方はみんな“この状態”になる。

俺は何度も見てきてるからね。

 

最初に見たのは、二十歳の時の菊永先輩。

あの時は競艇ではなく、競馬だったけど、最後は「10倍にしなきゃ、10倍にしなきゃ……」って言って、馬じゃなくてオッズを見てた。

それでどうなったって?

ある日いきなり電源が切れて、街から消えたよ。

沖縄で仲間が、一度だけ見たって言ってたけど。

 

でもまあ、タカちゃんは別に、大金持ってきてるわけでもないからな。

マジに俺の考えすぎなのか? でもなあ、なんか雰囲気がさ。

そんな勘繰りが喫煙所の煙の中で霧散して、どうでもよくなった頃に、締切を知らせるベルが場内に鳴り響く。

 

俺たちはいつもの定位置、大時計の前に陣取って、真剣なタカちゃんを先頭に、サイドにケンタ、一歩後ろに俺という陣形で観戦を始める。

レースはあっけなく、1周目の1マークで勝負がついた。

澤田が若林をブロックしながら回って、1-2-4隊系。道中の足上位の吉田が澤田を抜いての1-4-2。

タカちゃんが当初これしかないって言っていた展開だ。

実況が叫んでる。

「一着は……1号艇・宮之原! 二着は……4号艇・吉田! 三着は2号艇・澤田ーッ!」

モニターに映る数字。

1-4-2。

8.6倍。

「え……? あ、兄貴、当たったじゃないすか? 予想の客も大喜びっすね!」

ケンタが無邪気に言う。でもタカちゃんは、何も言わない。

拳を握ったまま、じっとモニターを見てる。何かを押し殺すように。

「……違う」

「え?」

「買ってねえんだ」

ゆっくりとした口調だった。

「1-2-4も、1-4-2も……最初は買おうとしてた。でも……客にはそう言ったが、俺は」

タカちゃんの目の奥で、何かが崩れていくのが見えた。

「テレボでやったんすよ。朝、入金して……300万、全部」

「は?」

「ケンタ、黙っとけ」

俺は慌てて、ケンタの肩を叩いた。

タカちゃんが、自分の目の前に、手のひらを置いた。まるでそこに、何かがあるかのように見つめて。

「俺さ、昔、選手の時に……子供いたんだよ。誰にも言ってねえけど」

誰も声を出さなかった。

「離れて暮らしてて……まあ、別れた女と一緒に。最初はちょくちょく会ってたんだけど……いつからか会わなくなってさ。成績も落ちてきて、引退して、連絡とらなくなって……もう、8年になる」

「うん……」

「でも、この前さ、元嫁から連絡が来て。“成人しました”って。写真付きでさ、振袖姿のやつ。……見た瞬間、なんか、グッときちまって」

タカちゃんは笑おうとした。でも無理だった。

「思ったんだ。“こんな時くらい”って。賞金王になって、好きなもんなんでも買ってやるよって、あいつがガキの頃にそう言ってたのに、俺は何も叶えてやれなかった。夜中に酒飲んでたら、みっともなくて、涙出てきてさ」

缶コーヒーを取り出した手が、震えていた。

「俺はバカだからよ、これしかできねえって思ったの。3倍、4倍じゃ意味ねえって。だから……2000万にして、一発で振り込もうと思ってた。振込先も、元嫁にこっそり聞いて……」

タカちゃんは、机の端に缶を置いた。中身はもう、ぬるくなっていた。

「でも外れた。最初に思ってた1-2-4と1-4-2に張ってたら……1000万だったのにな」

「あっ……」

ケンタが何かを言いかけて、でもやっぱり何も言えないというふうに、下を向いた。

「俺はバカだ。本当に、どうしようもねえバカなんだよ」

競艇場のスタンドのどこかでは叫んでるやつもいたけど、この場所だけは、異様に静かだった。

遠くのクラクションの音だけが、やけに鮮明に耳に入ってくる。

タカちゃんは顔を上げた。

笑ってた。

泣いてもいないし、怒ってもない。ただ、笑ってた。

でも、笑ってたけど、やっぱりたぶん泣いていた。

「まあ……いいや。こんな時くらい。久しぶりに本気で走ったような気がするし」

そう言って、立ち上がった。

「今日は一人で帰っていい? オケラは歩いて帰るもんだって言うでしょ? じゃあ、また来週も頼むわ」

そう言って歩き出すタカちゃんの背中を、俺もケンタも黙って見送った。

ケンタがボソッと呟いた。

「兄貴……泣いてました?」

「いや……でも、泣いてねえのは、逆にきついな」

 

帰り道、駅前の商店街の自販機で缶コーヒーを買って、俺はふと思った。

タカちゃんが渡せなかったあの金、あの気持ち。

届くかどうかなんて、分からないけど。

300万をそのまま、振り込めばいいだけだったじゃないか、なんてことも外野には言えない。

バカのタカちゃんなりに考えた結果、受け入れてもらえるかも分からない贖罪に必要な金額が、2000万だったんだろ?

錆びつき始めてるタカちゃんの脳内コンピューターでは、少なくともそういう計算になったんだ。

でも、それでもきっと——

「こんな時くらい」って言葉に、全てが詰まってた。

俺は缶を開けて、一口飲んで、それから空を見た。

いつのまにか雲が出てて、G1やってたあの冬の夕方みたいな空が広がってた。

多摩川から吹く風はやけに冷たくて、俺はケンタに、あざらしのタマちゃんを探せと言った。

「もうタマちゃんは北極帰りましたよ~」

そうかな? そこに何があるかなんて、やってみないと分からない。

そうなんだよな、タカちゃんよ。

 

よろしく哀愁、明日は万舟。

なんつってね。

 

俺もそろそろ、忘れ物を探しに行かないと。

 

配信元: 幻冬舎plus

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