たいていのことは、ひとりでできるようになった。|大石祐助

たいていのことは、ひとりでできるようになった。|大石祐助

ひとり旅、ひとり映画、ひとり焼肉、ひとりキャンプ、ひとりアフリカ暮らし。ひとりでできないことはないし、ひとりでこわいものはない。

 

クリスマスにフィンランドでオーロラが夜空に広がるのをひとりで待つことはできた。

けれど、夏の風物詩、花火が夜空に広がるのをひとりで待つことはできない。花火だけは、ひとりでいけないのだ。

 

 

私の暮らす新潟には長岡花火という、それはまあすごいらしい日本三大花火の一つがある。

新潟に移住して四度目の長岡花火の日。いまだに一度も見たことがない。来年こそは見にいこうと誓いを立てることこそ、夏の風物詩となっている。

 

そんな全国から見物客が集まる日、駅前のコメダ珈琲は開店から色めきだっている。

じゃなきゃ、朝っぱらからシロノワールなんていきませんもん。私だって無邪気にシロノワールをほおばるほど浮かれたいし、私だって花火に行きたい。

 

行きたいなら行けばいいではないか。その通りである。

しかし、いくらおひとりさまを極めたわたくしでもひとりで花火にいくのはいやだ。これをいやだと思える感性があることに、己が未だ人間であることを再確認する。

 

浮き足立つコメダ珈琲を後にし、車の定期点検へ。

いちど振られたディーラーのお姉さんとのランデブーを夢見る。まさかのまさかがあるかもしれない。

点検を待つ間、私の考えるもっともカッコいい行為である、岩波文庫の夏目漱石『こころ』を読むという戦法で、お姉さんに猛アピール。

ひらかれた岩波文庫は虚しく、私にも車にもなにもなく、すべてが無事に終了。アンパンマンがバイキンマンを退治するほど分かりきった結末でした。

 

帰路に着く前に、お気に入りのパン屋でせめて胃袋だけは満たしてあげよう。パン屋でパンを選ぶときだけが、人生のいとまである。

 

人気のない住宅街にポツンと、五十代くらいの夫婦が営む小さなパン屋がある。ここのパンはぴかいちに美味しく、とくに塩バターあんぱんはとびきりである。

夢を追いかけ脱サラして開業したのだろう旦那さんが早朝からパンを焼きつづけ、愛する男の夢を支えるべく奥さんが接客をする。ふたりとも目には光がなく、訪れるたび疲弊しきっているように見え、がんばれと応援したくなるのだ。

夫婦が営む住宅街の中にある小さなパン屋

パン屋の外に出て、我に返る。

がんばれはおまえだろ。いちばん可哀そうなのはおまえだろ。毎年花火にいけないおまえだろ。

 

来年こそは長岡花火へ、今年の夏もそう誓いながら、冷房の効いたワンルームで塩バターあんぱんをほおばった。

おそろしき三十一歳おひとりさまの日常、パンは救いです

配信元: 幻冬舎plus

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