「動」よりも「静」に音楽の喜びを見出す感性
つまり、音楽とは発散するよりも味わうこと。動ではなく静の中にこそ、音楽の楽しみを見出している。それが、日本のライブで自然発生的に合唱が起こらない理由なのではないでしょうか。だから、多くの人は見ず知らずの人が歌いだすと不快になるのです。それは実際に騒音であるのと同時に、当たり前にしてきた感性や常識にも反するという意味でのノイズでもあるからです。
B’zのように派手に盛り上がる音楽であっても、居住まいを正して味わいたい。このニュースが問うのは、マナーの問題ではなく、もっと深いもの。
日本人と音楽鑑賞についての、根源的な関わり方を物語っているのです。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4

