ライターとして活動するべっこうあめアマミさんは、特別支援学校に通う知的障害を伴う自閉症の11歳の息子と、きょうだい児である娘を育てながら、障害児育児にまつわる記事を執筆しています。
【画像】「えっ…?そうだったの……?」 これが「発達障害児」にみられることのある行動です(5つ)
アマミさんによると、息子には障害があるため、障害者手帳のほか、さまざまな福祉サービスを受けるために必要な「受給者証」と呼ばれる証書を持っているといいます。年に1回行われる受給者証の更新は、制度を利用する上で欠かせないプロセスだということです。しかし親にとっては、「数字」や「障害」という現実的な言葉が突きつけられる瞬間でもあると、アマミさんは語ります。
今回は、息子の障害の等級と初めて向き合った日から、数字に揺れなくなるまでの気持ちの変化について、アマミさんが振り返ります。

受給者証更新の季節に息子の障害と向き合う(べっこうあめアマミさん作)(べっこうあめアマミさん作)
12月は「受給者証」更新の時期
毎年12月になると、わが家には、更新された息子の新しい受給者証が届きます。毎年、支援内容が状況に見合ったものなのかを確かめるために、10月の終わりごろになるとわが家には、役所から束になった確認書類が届きます。
息子は発達に不安がある小学生から高校生までの子どもを対象とした通所型の福祉サービス「放課後等デイサービス」を利用しています。この放課後等デイサービスで支援計画の見直しやモニタリングなどが行われ、息子の現在の発達度合いや困り事などに改めて向き合わされる機会が続くのです。
ちょうど息子の誕生月は12月なので、毎年この時期は自然と息子の成長や課題について、いろいろと感傷的になることが多くなります。
現在、息子は特別支援学校に通う小学5年生で、重度知的障害を伴う自閉症があります。
東京都で知的障害がある人に交付される障害者手帳「愛の手帳」では、「2度」という重度判定です。
息子は先述の受給者証によって、放課後等デイサービスなどの福祉サービスを受けることができていますし、手帳によってさまざまな支援を得て生活しています。そのため、息子にとっては書面上ではっきりと数字を伴った障害判定が出るのはありがたいこと。
しかし、そうは言っても、初めて手帳を申請した頃の私は、判定結果に対して複雑な思いを抱えていました。
それはまだ、息子が小学校に上がる前のこと。息子は、未就学の障害のある子どもや発達に課題のある子どもが、日常生活や集団生活への適応などを学ぶ児童発達支援施設に通っており、当時の先生には、「この子が手帳を取れないことはないと思います」といわれていました。それほど、幼少期から発達の遅れが顕著だった息子。それでもどこかで、「もしかしたら判定が下りないかもしれない」「障害があっても軽度であってほしい」と期待する母心を抱えながら、初めて愛の手帳の申請に行きました。
結果は中度の「3度」判定。
必要な支援につながることができる結果であり、制度を利用するためには重要な一歩だったのですが、当時の私は素直に受け止めることができず、落ち込んで暗い気持ちに包まれていたことを覚えています。
それから数年後、息子が小学生になったことを機に手帳を更新し、判定が重度の「2度」になりました。以前の「障害の判定があっても軽度であってほしい」と思っていた私なら、重度なんて聞いたらさらに大きく落ち込む変化だと思います。
しかし、そのときの私の気持ちはだいぶ穏やかで、判定結果を淡々と受け取っていました。重度判定をもらった日は夫の提案で焼き肉に行き、わいわい家族で楽しんで帰ったほどです。
福祉制度を受けるためには、本人の困難さに応じて等級が割り当てられます。重い判定であるほど、「この子はそんなにできないことが多いのか」と劣等感や焦燥感を感じるのは自然なことですが、等級は支援の必要性を示すためのものであり、本人のすべてを表すわけではありません。
判定結果は変わらなかったり、重くなったりしても、目の前の息子はたしかに生活経験を重ね、成長しているのです。
それならば、息子がより便利に生活できるように、支援のための等級は重くなった方がいい。
息子を育てる中で、私も障害児の母としてずいぶん経験値を上げました。息子に障害があることに慣れ、その障害がかなり重いことも親として受け入れ、いちいち気持ちをかき乱されなくなっていたのだと思います。

数字では表せない日々の成長を、支援者の方々と喜び合う(べっこうあめアマミさん作)
数字に振り回されていた時期
今は動じなくなった私も、息子の幼少期は、手帳の等級だけでなく、息子の発達度合いや障害を表す数字や言葉に対してやたらと神経質だったなと思います。
受給者証の支給日数や、表記される「重度」や「障害」の文字、手帳の等級、書類に記載される「できる」「できない」の項目、発達検査の結果の数字。更新や検査のたびに、数字が私の気持ちを揺らしていました。
等級が重くなれば福祉サービスが増えることは分かっていましたが、親としては素直に喜べない部分もあります。
支援は必要だけれど、判定が重いという事実を見ると落ち込む。反対に、軽い数字が出れば安心しつつも、今度は必要な支援が十分に受けられないことに不安になる。
そんな相反する気持ちが入り混じる時期が続くのが、障害児育児のジレンマだと思います。
私は定期的に、障害がある子どもを成人まで育てた知人女性にお話をお聞きする機会があります。その女性は私よりも障害児育児の経験が長く、私はその人が発信する情報を現在も参考にしています。私の何歩も先を行くその人の話はどれも貴重な情報ですが、中でも私は特に次の言葉が印象に残っています。
「重い判定や数字は、子どもが支援につながるために必要なこと。書類上はしっかりできないことを受け止めて、できたことや成長は、いつもの子どもを見ている先生や支援者と喜び合えばいいんです」
この言葉が、私にはストンとふに落ちたのです。この言葉をきっかけに息子のこれまでの生活を思い返すと、確かに数字には表れない変化がたくさんあったことに改めて気付かされました。
少しずつできるようになってきた身の回りのこと、感情表現が豊かになったこと、苦手な場面でも以前より落ち着いて過ごせるようになったこと。
毎日の生活の中には、人に説明しなくても分かる「成長」が確かに存在していたのです。
数字はあくまで制度の入り口であり、子どもの日々の成長を直接示すものではない。子どもが生きやすくなるために判定や数字を重くもらうことは必要だけれど、それだけが子どものすべてではないのだと。
そのことに気付いた頃から、私は等級に対する気持ちが少しずつ軽くなっていったように思います。そして、講演後に息子の重い判定を受け入れる大切さ、数字では測れない「成長」を喜ぶことを意識するようになりました。
