Wisteria Attributed to Ogata Kōrin Japanese, Public domain, via Wikimedia Commons.
その作品は、大胆な構図と豪華絢爛な色彩、洗練された意匠によって、現代まで多くの人々を魅了し続けてきました。いくつかの代表作は日本の国宝に指定されており、元禄文化において重要な役割を果たしたことがわかります。
本記事では、尾形光琳の生涯や芸術作品の魅力に迫ります。
尾形光琳とは
雪松群禽図屏風 尾形光琳筆, Public domain, via Wikimedia Commons.
尾形光琳は、1658年(万治元年)に京都で生まれ、1716年(享保元年)に亡くなるまで、絵師や工芸家として活動しました。本名は尾形惟富、通称を市之丞といい、「光琳」という号で一般に広く知られています。
光琳の生家は、京都を代表する高級呉服商「雁金屋(かりがねや)」です。裕福な家柄であり、光琳は幼い頃から茶の湯や書画、能楽など、一流の芸術と文化に触れる機会に恵まれました。
父の尾形宗謙(そうけん)も芸術への造詣が深く、弟の尾形乾山(けんざん)は後に陶芸家として光琳と並び称されました。光琳が乾山の作品に絵付けを行うなど、兄弟によるコラボレーションも行われています。
光琳は一時期、生家の没落から困窮しますが、後に再び画業で成功を収めます。晩年は京都に自分の屋敷を建て、制作に取り組みながら過ごしました。
尾形光琳と琳派
琳派は特定の師弟関係に基づく流派ではなく、俵屋宗達の美意識を光琳が学び、直接指導を受けず敬慕する「私淑(ししゅく)」をすることで生まれたものです。
光琳の死後も、琳派の精神は酒井抱一や鈴木其一ら、江戸の絵師たちによって受け継がれ、日本の近世絵画を代表する大きな潮流となりました。
