理由(5) 子どもの努力よりも結果を求め、要求ばかりしてしまったから
努力よりも“結果”に目が向いてしまい、「もっと」「まだ足りない」と言ってしまう――。これは、教育に熱心であるほど起こりやすい現象かもしれません。
「もっと伸びてほしい」という願い自体は自然なものです。しかし、努力を認める前に次のハードルを提示され続けると、子どもは「自分は十分じゃない」と感じやすくなり、自己肯定感が低下する危険があります。
保護者の声の多くには「本当は褒めてあげたかった」「もっと寄り添えたはず」という後悔が滲んでいました。
‐ 「褒められなかった。テストで頑張ってある程度の点数が取れたのに、褒めずに『もっともっと』と言ってしまう。」(栃木県・中学1年生保護者)
‐ 「子どものことをほめず、『なんでこのくらいできないのか』と叱責してしまう。」(奈良県・小学3年生保護者)
教育虐待はどこから? 親が感じる「境界線」を超えた行動の共通点
「周囲の人の発言や行動で、“それは教育虐待では……”と感じたことがあれば、具体的に教えてください」と質問したところ、具体的なエピソードが数多く寄せられました。
特に、複数の回答に共通して見られたのは、
‐ 子どもの意思に反する強制
‐ 成績や結果への過度なプレッシャー
‐ 罰として生活を制限する行為
といったエピソードであり、保護者はこうした行動を「教育虐待に近い」と捉えている傾向があります。
共通点(1) 子どもの意思を無視した「強制」
まずは、子どもが望んでいない進路・習い事・塾通いなどを、保護者の期待や価値観を基準に“当然”のように進めてしまうケース。多くの保護者が「行き過ぎではないか」と感じやすい領域です。
これらの行為には「よい将来を歩んでほしい」という想いが前提にあることがほとんどです。とはいえ、子どもの意思が置き去りになった状態が続くと、自己決定感が損なわれたり、親子の信頼関係に影響したりする可能性があります。
‐ 「子どもの進みたい進路を無視して、親の進ませたい進路に子どもを進ませている。」(群馬県・中学1年生保護者)
‐ 「子どもが希望していないのに受験すること。」(愛知県・小学6年生保護者)
‐ 「公立中学に行きたいと言ってる子どもが受験塾に通わされている。」(東京都・小学4年生保護者)
共通点(2) 成績・点数への過度なプレッシャーと叱責
テストの点数や順位に関連する過度なプレッシャーと叱責についても多くの声が寄せられました。
点数は目に見える指標のため、親子の会話でも話題にしやすいもの。しかし、要求が過度になると、子どもは「結果ばかりを気にする」ようになります。その結果、ミスを恐れて萎縮してしまうことがあります。
‐ 「100点以外は認めない。100点を取って当たり前な家庭。」(大阪府・小学6年生保護者)
‐ 「テストの点数が90点以下だと家に入れない。」(群馬県・小学5年生保護者)
‐ 「テストでいい点を取らないと怒られること。」(大阪府・中学2年生保護者)
共通点(3) 罰や生活制限によるコントロール
最後は、遊び・休息・食事・睡眠といった生活に必要な時間や行動を“罰”として扱う行為。
こうした罰は、一時的には子どもの行動が変わるかもしれません。しかし長期的には「勉強=苦痛」という学習観を生みやすくなります。その結果、子どもは自己肯定感を失ったり、心身に負担を抱え続けたりする可能性があります。
‐ 「テストが悪いと1ヶ月、友達と遊ぶのを禁止している。」(福井県・中学2年生保護者)
‐ 「子どもの遊ぶ時間を減らして、勉強ばかりさせること。」(滋賀県・小学1年生保護者)
‐ 「課題を終わらせるまで食事を与えない。」(東京都・小学1年生保護者)
不安を感じた親が必ず振り返るべき3つのポイント
ここまで、保護者が「教育虐待かもしれない」と不安になる瞬間、そして「これは教育虐待だ」と認識する行動について見てきました。しかし、毎日の子育てにおいては、これらの線引きが曖昧になりがちです。
そこで、アンケート回答から、保護者が不安を感じたときに“自分の行動をどこから振り返るべきか”を整理しました。これは、教育虐待の境界線を一律に決めるものではありませんが、行きすぎたかどうかを見直すための振り返りの軸として役立つのではないでしょうか。
(1)「子どもの意思や気持ちを聞けていたか」を振り返る
保護者の声のなかでも特に多かったのは、子どもの意思を尊重できているかという視点でした。強制が教育虐待につながりやすいという認識は、多くの保護者に共通しています。
‐ 子どもが「嫌だ」「疲れた」と言ったとき、その気持ちを受け止められていたか
‐ 「将来のため」と言いながら、保護者の理想を優先していなかったか
‐ 子どものペースや状態を無視して“成果”だけを追い求めていなかったか
特に、子どもの感情表現が少ないタイプの場合、保護者が「頑張らせなきゃ」とリードしすぎてしまうケースがあります。しかし、それが子どもにとっては“納得していないままやらされている状態”になっていることも。
この気づきこそ、境界線を越えないための大切な一歩です。
(2)「親自身の不安・期待が強く出すぎていなかったか」を振り返る
教育に関する不安は、保護者にとって日常的で、避けて通れないテーマです。“勉強についていけなかったらどうしよう”“将来困るのでは”といった思いは、自然に湧き上がるものです。
しかし、この焦りや不安は、時として子どもへの強いプレッシャーとして表れることがあります。
‐ 子どもを急かしたり煽ったりした言葉は、保護者自身の不安から出ていなかったか
‐ 「もっとできるでしょ」という期待が、子どもへの否定に変わっていなかったか
‐ テストの結果に一喜一憂しすぎて、努力を認める余裕を失っていなかったか
保護者のコメントでは、「焦りで言いすぎた」「親の期待ばかり語ってしまった」という後悔が多く見られました。しかし、その“気づき”は改善へのスタート地点でもあります。
(3)「子どもの心身の負担が大きくなっていなかったか」を振り返る
教育虐待を考える上で最も重要なポイントは、子どもの心身がどれだけ負荷を受けていたかです。
「睡眠不足になるほど勉強させた」「食事や自由時間を罰に使ってしまった」「強い叱責で委縮させてしまった」といった声に代表されるように、保護者が子どもの心身に負担をかけてしまったことを反省が数多くありました。
‐ 睡眠・休息・遊びなどの子どものやりたいことが奪われていなかったか
‐ 勉強のために「生活の質」を犠牲にさせていなかったか
‐ 気持ちが落ち込むほど、強い否定や比較を続けていなかったか
心身の安全は、学力や成績より優先されるべきものです。ここが損なわれたとき、教育目的であっても「虐待」に分類されるリスクが高まります。
保護者のコメントには、「気づいた時には子どもが泣いていた」「寝不足なのに勉強させてしまった」といった後悔が多数見られました。子どもへの接し方がいつも完璧である必要はなく、「気づいたときに立ち戻る」姿勢が何より大切なのかもしれません。
まとめ:教育虐待しないために、立ち戻る習慣を
今回の保護者500人への調査を通してわかったのは、教育虐待が「特別な家庭だけの問題ではない」ということです。3人に1人が、日々の子育てのなかで“良かれと思って”行動した結果、それが行きすぎたかもしれないと悩んでいます。
しかし、アンケートのコメントを読み解くと、そこには次のような気づきがありました。
‐ 自分の行動に不安を抱える保護者ほど、関わり方を見直そうと努力している
‐ 教育虐待は「悪意」ではなく「子どもを想う気持ち」から起こることが多い
だからこそ大切なのは、自分を責めることではなく、「気づいたときに立ち戻る」姿勢です。
‐ 子どもの意思を尊重できているか
‐ 自分の不安や期待をぶつけていないか
‐ 子どもの心身が苦しんでいないか
この3つを定期的に振り返ることで、教育虐待の境界線に気づきやすくなることでしょう。
