あまり世間に浸透しているとは言えませんが、11月11日は「介護の日」、11月30日は「人生会議の日」です。
そのため毎年10月末~11月にかけては、介護や人生の終末期をテーマにしたイベントや講演会などが多数開催されます。
大阪府内では「人生の終焉をデザインする」というテーマで、ホスピス勤務医らによる講演会が開催されました。
介護サービス事業者にとって利用者の死は避けて通れない出来事です。
利用者の中には「いつお迎えが来てもいい」とどっしり構えている人もいれば「1分1秒でも長生きしたい」と生に執着する人もいるなど、死に対する意識や態度には大きな個人差があります。

そもそも、多くの人は死を「怖いもの」「避けたいもの」と考えます。
この理由はどこからくるのでしょうか。
講演した医師は次のような理由を挙げていました。
まず、「死についてよくわからない」ことがあります。実際に死んだ人からは直接話を聞けません。
どれだけ事前に書物、インターネット、人の話などで死について学んでも「死んだらどうなるのか」は体験できません。
未知なことに対して漠然とした恐怖感を抱くのは人として当然の感情です。
次に、末期がんなどで余命宣告を受けていたとしても、具体的に自分の命をいつ終わらせるかを自身でコントロールできません。
『今日が最後かもしれない』という日々を毎日繰り返すことに、多くの人が恐怖や不安を覚えることでしょう。

また、ほとんどの場合で終末期は家族や医療・介護従事者など誰かの助けが必要な状態になります。
しかし、どれだけ彼らが支えになってくれたとしても、最終的に死ぬのは自分1人です。
「誰も付き添ってくれない1人での旅立ち」が不安なのも当然の感情です。
そして、ときに死は苦痛を伴うこともあります。痛みや苦しみに対して「嫌だ」という感情を抱くのも自然なことです。
このように、不慮の事故で全く予期していない状況から一瞬で死を迎える場合以外は、死を恐れるのは当然の感情と言えます。
講演した医師自身も「長年ホスピスで勤務し『いい看取り』も数多く見て来た。しかし、自分の死が怖くないわけではない」と語ります。

ですから、ホスピス入居者の中には、死への恐怖から「なぜ、自分だけが苦しい思いをしなくてはいけないのだ」「家族を残して先に死ぬなんて、自分が何か悪いことをしたのか」などスタッフに問いかける人もいます。
「この場合どのように返事をしたらいいのだろうか」は医療・介護従事者の永遠の課題とも言えます。
特に年齢の若い介護職の場合、経験不足に加えて、自分の家族や親類、知人で死を迎えた人がいないケースもあります。
死というものを自分自身がしっかりと認識していない中で、利用者やその家族からの命や死に対する問いかけに対応することは非常に困難です。
こうした心理的負担が離職の原因にもなりかねません。

これに対し、講演した医師は「こうした問いは多分に個人的な問題であり、医師などが画一的に答えを出せるものではない」「そもそも彼らは、自分たちに何らかの答えを求めてこうした問いを発していないのではないか」とコメント。
「最終的には本人自身で答えを探し出していくしかない」とアドバイスしました。
スタッフがこうした気持ちで入居者と接することができるような教育が求められていると言えます。
これまでホスピスで最期を迎えた人の中には、死を全く恐れないで旅立ったケースもあるそうです。
例えばある人は「死後の世界からこの世に戻って来たという人を見たことも聞いたこともない。そう考えると、死後の世界というのはこっちに戻って来たくないぐらいに魅力的なところなのだろう」と語っていたそうです。
介護の三ツ星コンシェルジュ

