「復讐屋はじめました」物騒な看板掲げたそこは…猫の温泉宿?心に無念を抱えた人が訪れる/猫のにゃ温泉(1)

「復讐屋はじめました」物騒な看板掲げたそこは…猫の温泉宿?心に無念を抱えた人が訪れる/猫のにゃ温泉(1)

猫のにゃ温泉~開店前~





 今日も駅へと続く道を、人間がせわしなく駆け抜けていく。
 同じような色のスーツに身を包み、まるで駅まで競争でもしているかのよう。どの顔も険しく、朝だというのにすでに疲れがにじんでいる。
 俺たち猫みたく、のんびり生きればいいものを。眠い時に眠って、遊びたい時に遊べば、眉間のシワも少しは消えるだろう。
 大通りをあとにし、商店街に入ると、急に人間の姿がなくなる。脇にある小道の先に、俺の店がある。
 チリン。朱色の首輪についた鈴が音を立てた。前の飼い主が買ってくれたものだ。
 そいつは、仕事から帰ってくるなり俺を抱きしめ、お腹に顔をうずめるのが好きだった。部屋にいると常に俺の姿を探し、寝る時だって離れなかった。
 窮屈だったし我慢もさせられたが、悪くないと思えた。
 でも、今はもういない。
 詳しく語るのはやめておく。思い出すだけで、毛が逆立ちそうになるからな。
 とにかく俺はひとりぼっちになった。野良になるか仕事猫になるか。残された道はそれしかなかった。
 店の引き戸に掲げた白いのれんを見上げる。
『日帰りにゃ温泉』
 いい名前だ。〝日帰り〟ってのが特にいい。
 が、問題なのは、引き戸の横に立てかけてある看板のほう。
 縦長の板に、『復讐はじめました』と書いてある。
 冷やし中華じゃあるまいし。そもそも、あれのどこが美味いんだ? 酸っぱいだけじゃねえか。やっぱり猫といえばカリカリだ。
 断じて言うが、復讐屋をはじめたのは社長である俺の意思ではない。
 そうなったのには深い理由があって……。



「ふあああ」
 なんだか眠くなり、あくびをしていると、
「コテツ、おはよう」
 うしろからルナが声をかけてきた。今日も銀色の毛が艶やかに光っている。
 ロシアンブルーのルナは美人だが、元野良なのでやや気が強い。
「その名前で呼ぶなって何度言えばわかるんだ」
「あら、いい名前ですわ。〝プレジ〟っていうあだ名のほうが違和感がありますの」
 両親が海外生まれのせいで、ルナの日本語はどこかぎこちない。
「この日帰り温泉旅館の社長、つまり、プレジデントなんだからおかしくないだろ。コテツという名前のほうが小物っぽくて好きじゃない」
「ふうん」ルナは興味なさそうに答えると、ひょいと立ち上がって、ほうきとちり取りを渡してきた。
「ではプレジ社長、お昼前の来客に備えて、しっかり掃除をしてくださいな」
「外で二足歩行するなと言ってるだろ。誰かに見られたらどうすんだよ」
「大丈夫ですわ。この店や私たちは、普通の人間には見えませんの」
「気持ちの問題だと言ってるんだ。とにかく掃除はそっちでやってくれ」
 掃除道具を返そうとするが、もうルナは背を向けてしまっている。
「女将の仕事は山ほどありますの。それくらいやってくださいな」
 言葉は丁寧だが、言い返そうものなら全力で反撃されることは経験済みだ。
 今日の来客は、四十代の女性と聞く。
「癒やされに来るのか、復讐に来るのか……さて、今日はどっちだ?」
 客は、一日につきひとりだけ。掃除なんか、あとでサッとすればいいだろう。
 ルナには怒鳴られるかもしれんが、こっそり畳部屋で寝ることにしよう。
 店に戻り、受付の横をそっと通り過ぎる。こういう時、足音を出さない肉球は便利だ。
 畳部屋に到着した途端、俺は脱力する。
 部屋のど真ん中で、ルナが体を丸め、気持ちよさそうに寝ていたのだ。



この記事の詳細データや読者のコメントはこちら

配信元: OZmall

提供元

プロフィール画像

OZmall

会員数300万人の女性向けWEBメディア。OZmall [オズモール] は東京&首都圏の女性に向けた情報誌 OZmagazine [オズマガジン] のWEB版です。「心ときめく“おでかけ体験”を一緒に」をテーマに、東京の感度の高い女性に向けた最新トレンド情報を紹介しています。