アイスム「聴くコラム」でもおなじみ、フリーアナウンサーの枡田絵理奈さん。枡田さんはTBSアナウンサー時代に、広島カープの堂林翔太選手と結婚。それを機に退社して広島に移住し、知り合いのいない土地で出産・育児を経験されました。今では三人のお子さんのママです。「とにかくいっぱいいっぱいだった」と語る初めての育児や、子どもの成長を感じたできごと、母になったばかりの頃の自分へ伝えたいメッセージなどを伺いました。

枡田絵理奈さん
1985年12月25日生まれ。神奈川県出身。2008年にTBSテレビに入社し、『チューボーですよ!』『ひるおび』などの番組で活躍。2014年に広島東洋カープの堂林翔太選手と結婚し、TBSテレビを退社。現在は広島で3人の子供の育児をしながらフリーアナウンサーとして活動。「アスリートフードマイスター3級」「食育実践プランナー」の資格を持つ。
知り合いのいない街でワンオペ育児。孤独がいちばん辛かった

――結婚して広島に移住し、すぐに第一子を妊娠されたそうですね。当時の心境は?
言葉にならないくらい嬉しかったです。つわりも大きなトラブルもなく、比較的安定した妊娠生活だったと思います。ただ、その反面、土地勘もなく知り合いもいなかったので、産婦人科の情報なども分からず、不安な気持ちとも隣り合わせでした。母親学級などを通して、少しずつ友達もできたのですが、妊娠中、不安がピークに達していた時期は、「こんな気持ちで大丈夫なのかな。子どもを愛犬よりも可愛いと思えなかったらどうしよう…」なんて、大真面目に心配したこともあります。(笑)だけど実際は、産声を聞いて我が子を抱いた瞬間に、そんな心配は吹っ飛びました!
――わが子に対面してすぐに愛情のスイッチが入ったんですね。出産前、「子どもが生まれたらこういうママになりたい」という理想はありましたか?
ありました。私、基本的に感情の起伏があまりないタイプなんですよ。人とケンカしたこともないし、声を荒らげたこともない。だから、「子どもの話にじっくり耳を傾ける、穏やかで優しいお母さんになるぞ」と思っていました。だけど、第一子の長男が歩き回るようになったあたりから、穏やかではいられなくなりましたね。ついつい「あー!ダメダメダメ!」って大きな声を出しちゃう。
――どんなときに大きな声が出てしまうのでしょう?
長男は2歳くらいまですごくわんぱくだったんです。ちょっと目を離したら犬のハウスに入って犬用のお水で遊んでいたり、キッチンの引き出しをぜんぶ開けて食器を積み木にして遊んでいたり…。毎日、怒るというよりビックリして大声を出しちゃっていました。

――新米ママだった頃、特に辛かったことは?
広島に引っ越してきたばかりで知り合いがいないし、夫も遠征で留守がちだし、育児の相談をできる相手がいないことが辛かったです。でも、もし相談相手がいたとしても、当時は弱音を言えなかったかもしれません。たくさんの方に迷惑をかけてTBSを退社して広島に来たこともあって、「自分で決めたことなんだから、ちゃんとやっているように見せなきゃ!」という気持ちが強かったので…。
――一人で抱え込んでいたんですね。
長男が生まれて最初の一ヶ月は、横浜の母が仕事を休んで手伝いに来てくれたんですよ。夫はシーズン中で家にいないことも多かったから、母の存在がとてもありがたくて。一ヶ月経って母が横浜に帰るとき、寂しくて心細くて…思わず涙が出ました。
――そこからワンオペ育児が始まったんですね。
はい。それからしばらくして、トリミングサロンに犬を預けるときに、なんとなく帰りがたくて、トリマーさんとおしゃべりするようになって。その方は、ちーちゃんという、私より20歳くらい年上の方なんですけど。彼女が、私がいっぱいいっぱいなのを察して、ご飯に誘ってくれたんです。1人じゃ子連れで外食をする勇気もなかったので、気分転換になりました。そこから、定休日とかになると連れ出してくれるようになって、広島の街のことをいろいろ教えてくれました。「このスーパーは火曜日が安い」とか「この公園は犬の散歩にもいいし、ちっちゃい子も安心だよ」とか。そのおかげで、ちょっとずつ世界が広がっていきました。
――救世主ですね!
そうなんです。その後、もっと仲良くなって、家に行き来する仲に。ちーちゃんは、我が家の冷蔵庫にあるものでササっとご飯を作ってくれたり、ときには「たまにはゆっくりお風呂入りな!」と、子守りを買って出てくれたことも。本当にたくさん助けてもらいました。
将来「いろんな人たちと一緒にごはんを食べたなぁ」って思い出してほしい

――その後、第二子の娘さんが生まれたんですね。
はい。わんぱくだった息子は妹ができたことでガラッと変わって、まるでちっちゃいお父さんみたいに妹をかわいがってくれました。だから私もワンオペ育児という感じがしなくて。よく「三人兄弟、大変だね」って言われるんですけど、どう考えても私の中では初めてのことだらけの一人目のときがいちばん大変でした。
――やっぱり第一子と第二子・第三子の育児は違うものですか?
一人目のときは「完璧にやらなきゃ」って気持ちが強かったけど、二人目・三人目は肩の力が抜けて、「完璧じゃなくてもいいんだ」と思えるようになりました。
――育児に対して完璧を求めるところがあったんですね。
それまでの人生において、物事を完璧にこなすことに気持ちよさを感じるタイプだったんです。だからこそ、子どもが生まれてから家事を完璧にはできなくなって、自分にがっかりしてしまったり…。夫が帰宅後に掃除機をかけているのを見かけて、「私の掃除が不十分だったんだ」って思ったり…。別に夫は何も言っていないのに、私が勝手にハードルを高くしていたんです。でも、だんだんと完璧にできない自分にも慣れてきて、二人目・三人目になると、そんなことも言ってられない!というような状況で、色々とハードルが低くなって子育てが楽になりました。

――長男さんはわんぱくだったそうですが、他のお子さんたちはどうですか?
娘たちは活発ではありますが、上の子がいるからか、割としっかり者です。
――三人の仲はいいですか?
みんなに驚かれるくらい仲が良いです。今、10歳・8歳・6歳なんですけど、いつも三人でぎゅっとくっついているから、うち1畳しかいらないんじゃないかと思うくらい(笑)。最近は三人でずっとシール交換をしています。きょうだいの間でシールがぐるぐる移動しているだけなんですけど(笑)。
――かわいいですね!堂林家ならではの、「他の家庭とはちょっと違うな」と感じるエピソードはありますか?
今はそんなことはないんですけど、以前はよく夫のカープの後輩たちがうちでごはんを食べていました。一時期は、鈴木誠也選手(現在はシカゴ・カブス所属)が毎日のようにうちで夫と夕飯を食べていたことも。夫たちが帰ってくると、誠也君が子どもたちの相手をしてくれて、その間に、私は夕食を作って、夫は洗濯物を畳んで…。そして、2人が夕飯を食べている間に、私が子どもたちの寝かしつけをしていました。
――血縁ではない大人にそんなに面倒を見てもらったお子さんはたしかにめずらしいかもしれませんね。
うちの子どもたちって、祖父母やちーちゃん、夫の後輩たち、同じマンションの家族とごはんを食べる機会が多いんです。将来、「うちは五人家族だけど、いろんな人たちと一緒にごはんを食べたなぁ」って思い出してほしいですね。
