独身の友人が漏らした「恐怖」から考える、AIが友人になれない理由
少し話はかわりますが、その友人グループの中に、私にとって本当に大切な友人がいます。彼女は独身で、ひとり暮らしをしています。あるとき彼女が、こんな話をしてくれました。
「寂しいとかはないんだけど、人生を“記憶してくれる人”がいないのが、すごく不安になるんだよね」
私や他のメンバーには、それぞれ家族がいます。すべてではなくても、同じ家に住むパートナーと、今日あった出来事や感じたことを、自然と共有していく。
でも、ひとり暮らしの彼女には、それがない。
彼女は「人生が誰の記憶にも留まらなくて、透明になって流れていくような感じがする」と言っていました。
その言葉を聞いたとき、彼女が求めていたのは、単なる“話し相手”ではなく、自分の存在をつなぎとめてくれる場所だったんじゃないか、そんなふうに思いました。
AIに毎日話しかければ、そのやり取りはすべてログとして残ります。それはきっと、完璧な自伝になるでしょう。でもそれはどこまでいっても単なる、「記録ログ」。劣化することもありませんが、「記憶」ではない。
決定的な違いは何か。
それは、「共感」だと思うんです。AIには「共感」がありません。
もちろん「悲しかった」と言えば「それは悲しかったですね」と返してくれる。でもそれは膨大なデータから算出された言葉であって、AI自身がその経験をしたわけではない。
その言葉に、意味や重みがないことを、私たちはどうしたって知ってしまっている。
だから、AIはきっと、私の友人が欲しかったような「心の拠り所」にはならないんじゃないかなって思ったんです。
そう考えたとき、これこそが、私がAIを友達と呼べない最大の理由なのかもしれないと思い至りました。
AIにはない「熱の交換」。人間は「共感」で記憶する
そもそも「共感」というのは、相手の感情や表情、声の揺れ、その場の空気も含めて、自分の経験と照らし合わせて、受け取るものだと思っています。悲しそうにしている友人を見れば、こちらの心も痛むし、笑えば、理由はよくわからなくても、つられて笑ってしまう。
そうやって、人の心や体が震えたときの感覚が、脳に「記憶」として刻まれていく。
私が友人との時間を欲しているというのは、きっとこの「熱の交換」があるからなんだなと思うんです。
「わかる!」と頷き合った瞬間、お互いの感情が相手の中に焼きついていく感覚。この体験は、AIには置き換えられません。
一方で、人間のコミュニケーションには、いい意味での「ズレ」もあるな、と感じています。
AIは、起きたことを100%正確に記録し、そのまま取り出して、整えて返してくれる。でも、友人は違う。
「優紀ってあのときこうだったよね」
「あんなこと言ったよね」
そう言われても、私の記憶には残っていないことがある。
さらに、同じ出来事を見ていても、まったく違う角度から受け取っていることがあるんですよね。でも、それこそが人間らしいのではないかとも思うのです。

