ズレがあるからこそ、友人は「人生の証人」になれる
記憶には、共感を通しての感情があります。時には、嫉妬や妬み、違和感や嫌悪感といった、決してきれいではない感情と一緒に、その記憶が相手の中に残っていくこともある。そういう「感情を含んだズレ」は、AIにはありません。
だからこそ、他者の人生を記憶し、その存在を証明する存在として、友人は「証人」になっていくのだと思います。
それは、完璧にコピーされた完璧な記憶ではなく、曖昧で、不完全で、でも確かにそこにあった時間を、生き証人として覚えていてくれる存在。
話を聞いていても、ズレているな、と感じることもたくさんある。誤解されているな、と思うこともある。
でも、それこそが人間らしくて、愛おしい。
だからきっと、彼女が欲しかったのは、完璧なログとして残る人生ではなくて、自分だけの視点ではなく、他人という視点を通して、誤読も含めて記憶される人生だったんじゃないか。
そんなふうに思いました。
私たちは人生の証人になり合いながら生きている
AIは100%事実を記録してくれる、とても便利なツールです。そこに誤読やズレはありません。それでも、私はやっぱりAIは友達とは呼べない。
友達との無駄話は単なる暇つぶしではなく、共感を通した「熱の交換」。そして、そこから生まれる体温とズレを含めて、友人は私の物語を記憶してくれて、人生の証人になってくれます。
友達と話す時間には、「私の人生の目撃者になってね。その代わり、私もあなたの証人になるから」。大げさに言えば、そんな意味合いが含まれているのではないでしょうか。
だから私は、距離があっても、やっぱり友人に会いたいと思うし、チャンスがあれば会いにいくのだと思いました。いくらAIが当たり前の世の中になって、究極まで効率化が進んだとしても、私はあの愛すべき無駄な時間をやめられません。
<文/大木優紀>
【大木優紀】
1980年生まれ。2003年にテレビ朝日に入社し、アナウンサーとして報道情報、スポーツ、バラエティーと幅広く担当。21年末に退社し、令和トラベルに転職。旅行アプリ『NEWT(ニュート)』のPRに奮闘中。2児の母

