中世における無署名の伝統:ギルドシステムと集団制作の時代
パン職人の絵 13世紀, Baker baking bread in an oven - miniature in a 13th century psalter, Public domain, via Wikimedia Commons.
現代の私たちにとって、絵画に作者の署名があることは極めて自然に感じられますが、西洋の中世期においては、芸術家が作品に署名を入れることはほとんどありませんでした。古代ギリシアの陶芸家たちは「(芸術家の名前)が私を作った」という興味深い形で署名していましたが、中世期になるとこの慣習は姿を消しました。
中世美術の専門家たちは、中世芸術における署名の欠如について異なる説明を提供しています。最も有力な理論の一つは、中世美術が主に協同組合的なギルドシステムによって制作されていたという「生産構造の転換」に関連しているというものです。
ギルドは、相互扶助と保護、そして職業的利益の促進のために結成された職人や商人の組合でした。12世紀頃から各地域で発展し、多くは近世初期まで存続しました。中世ヨーロッパでは、商人と職人のギルドが形成され、メンバーが相互扶助の恩恵を受けられるよう組織されていたのです。
布職人、靴職人、薬剤師、石工、画家、彫刻家、そして基本的にあらゆる種類の職人がギルドに参加し、あらゆる種類の商品の生産を統制するだけでなく、それぞれの特定の技能の基準も定めていました。このシステムの下では、個人の芸術家が単独で作品を制作することは稀で、複数の職人が協力して一つの作品を完成させていました。
ギルドは、貿易を統制し、外部の競争を制限し、品質の基準を確立し、見習いの訓練に関する規則を設定していました。15世紀頃の初期フランドル派にも見られますが、いくつかの工房はその工房と認識できるようなマークやシンボルをそれぞれ持っていました。これは作家としてのアピールというよりも、品質を保証するための意味合いも強く、この真正性と品質の証明としてのマーク付けが、後の時代の識別において重要な手掛かりとなっています。
ローマ建設の写本, 13世紀, Miniature de la construction de Rome (F.130 V), manuscrit de "L'Histoire ancienne jusqu'à César" (Ms 562), 1260-1270, conservé à la Bibliothèque municipale de Dijon, Public domain, via Wikimedia Commons.
もう一つの重要な要因として、宗教的な価値観が挙げられます。一部の学者は、この中世の無名性により、芸術家ではなく芸術作品そのものが重要であったと論じています。事実、中世の美術作品のほとんど(すべてではないにせよ)は宗教的なものでした。そのため、強い謙虚さの感覚が、作者が自身の作品に署名するのをためらわせたと考えられます。
多くの芸術家は聖職者(修道士など)であるか、ギルドに所属する一般人でしたが、彼らの作品は典礼、瞑想、あるいは信仰の目的で使用されました。このような作品に作者の名を入れることは、ふさわしくないと考えられていたのです。
古代から中世への変遷:署名文化の消失
興味深いことに、古典時代では芸術家の署名は決して珍しいものではありませんでした。ギリシアの陶芸家たちは作品に署名しており、画工と陶工は必ずしも同じ人物ではなく、それぞれ専門職として存在していました。ギリシアの花瓶には「〜が私を作った(ἐποίησεν)」や「〜が私を描いた(ἔγραψεν)」といった銘文が刻まれることが多く、それがエルゴティモス、クレイタスなど古代ギリシアの陶芸家や画家の名前が今でも知られている理由です。
私たちは、ポリュクレイトス、ミロン、プラクシテレス、フィディアスという偉大なギリシアの彫刻家や建築家の名前を、様々な古代の資料のおかげで知っていますが、中世期に入ると、この伝統は急速に失われていきました。
