工房は“いったん”迷った——そして最後に決めたのはサラだった
とはいえ、現場はロマンチックどころか、かなり切迫しています。再開公演に間に合わせるために、とにかく時間がない。ポスターは新年の街に貼られて初めて意味を持つから、「元日までに」外せない。
だからこそ、工房側がミュシャ案を“すんなり歓迎”した、とは限りません。縦に異様に長いサイズ、淡い色調、余白の使い方など当時の街角広告の常識から外れている。印刷所としては、「本当にこれで人の目を止められるのか?」という不安が先に立つ。時間さえあれば、別案を出して比較もできたでしょう。でも、そんな余裕はない。
そこで判断は、最後の一手へと押し出されます。「これは“商品”じゃない。あなた自身の顔だ。決めるのはあなただ」とでも言うように、工房は半歩引き、決裁をサラに委ねる。ポスターは彼女の名刺であり、彼女自身の“像”だからです。
サラ・ベルナール(1880年), Public domain, via Wikimedia Commons.
そしてサラは、その責任をためらわない。ミュシャの案を見た彼女は、迷いを切り捨てるように 「これでいく」と、そう決めた(と語られる)。
工房の逡巡を、締切の焦りを、街角の常識を、その一手でまとめて踏み越える。結果として《ジスモンダ》は「採用された」のではなく、サラによって「決裁された」のだった。ここが、奇跡の物語を「運」ではなく「決断」に変える、いちばん大事なポイントです。
『ジスモンダ』の物語——誓いが、女公爵を追い詰める
ここで一度、作品の中身に目を向けると、《ジスモンダ》の“強さ”がもっとはっきりします。『ジスモンダ』は、15世紀のアテネ(フィレンツェ支配下)を舞台にしたメロドラマ。女公爵ジスモンダは、息子フランチェスコを救った者と結婚すると神に誓う。
ところが救い主は、貴族でも英雄でもない「身分の低い男」アルメリオだった。感謝は、誓いになった瞬間、恐怖に変わる。破れば神への不誠実、守れば支配階級の秩序が崩れる。彼女は“抜け道”を探し、民衆は誓いの履行を迫り、宮廷は殺害まで口にする。すべては「誓い」をめぐる綱引きとして回り続けます。
『ジスモンダ』(1894年)の一場面サラ・ベルナール(左), Public domain, via Wikimedia Commons.
この筋立て、実はポスターに必要な要素がそろっているんです。宗教(誓い)、権力(公爵位)、民衆(騒乱の気配)、そして“祝祭の日”の眩しさ。クライマックスには復活祭の行列が置かれ、物語は祈りと儀式の光の中で燃え上がっていく。
