「意識」は行動を司るとされているが、実際には選択の多くを“無意識”が動かしているという。では、「自分で選んだ」という感覚は本物なのだろうか? 睡眠研究の第一人者である筑波大学の櫻井武教授が、意識の役割と“自分”の正体に迫ったサイエンス新書、『意識の正体』。本書より、一部を抜粋してお届けします。初回は、書籍の「はじめに」を全文公開!
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意識はなぜ存在するのか
「意識とは何か?」――この問いに真正面から向き合おうとするたびに、私たちは言葉の壁に突き当たる。
意識とは、多くの哲学者や神経科学者が語るように、「自分が何かを体験しているという主観的な感覚(subjective experience)」ともいえる。
目の前の景色が見える、音楽が響く、痛みや喜びを感じる、自分が「ここにいる」と気づく―― これらの実在感はクオリア(Qualia)と呼ばれる。クオリアは単なる情報処理の結果、何かを決定することではなく、「感じられること」そのものだ。コンピュータが情報を処理しても、その内部に色や音の感覚は生じない。
それに対し、私たちは赤の鮮やかさや痛みの鋭さを〝感じる〞。この「感じ」が意識の核心である。
つかめそうで、つかめないもの
一方、神経科学では、意識を「外界や内界の情報を統合し、レポート可能な状態」として扱うことが多い。つまり、目や耳などの感覚器からの情報を脳が統合し、「私は〇〇を見た/感じた」と報告できる状態だ。
いずれにしても意識は、「自己」という感覚、そして「自己と世界との関係性の理解」と密接に結びついている。
しかし、この「意識」という現象は、どこまでも得体が知れないのだ。
まるで、霧の奥でかたちを変え続ける影を追いかけているようである。近づくたびにその輪郭は揺らぎ、また遠ざかっていく。
哲学は、クオリアや自己認識を手がかりにその輪郭を描こうとしてきた。神経科学は、意識に関わる神経活動や脳内ネットワークを少しずつ明らかにしている。それでもこの問いには、いまだ決着がつかない。


