死んだら「私」はどうなるのか? 自我と認識の秘密を脳科学でひもとく|櫻井武

死んだら「私」はどうなるのか? 自我と認識の秘密を脳科学でひもとく|櫻井武

世界はひとつではない

色も音も匂いも、物質に本来備わった性質ではなく、脳が創り出す仮の姿である。

私たちの知覚は、世界のほんの薄皮をなぞっているにすぎない。
可視光線は電磁波のごく一部(波長にして380〜780nm)で、その外側には紫外線や赤外線、X線、電波が果てしなく広がる。
色(光の波長)を感知する網膜の錐体細胞の分布は人によって異なり、同じ「赤」を見ても、その鮮やかさや温度感はわずかに異なるかもしれない。
世界はひとつではなく、人の数だけ重なり合っている。

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神経科学者ウォルター・J・フリーマンはこう言った――「脳は外界をただ受け取る受動的な器ではない。経験と文脈をもとに、意味を創造する能動的な舞台だ」。
私たちが見ているのは、外界そのものではなく、脳が描いた意味の風景なのである。

哲学者ヒラリー・パトナムの「水槽の脳」として知られる思考実験のように、もし私が電極につながれた脳で、与えられた信号を現実と信じているだけだとしたら――私はそれを見抜けるだろうか。

壊れるのは意識か、世界か

現実の見え方は、脳のわずかな損傷で劇的に変わることがある。
1983年、運動視野を損傷した女性の世界から、〝動き〞が消えた。
コーヒーは突然カップからあふれ、車は一瞬で目の前を通り過ぎる――彼女の時間は連続ではなく、断片的な静止画の連なりになった。これは「動作盲(どうさもう)」という症状だ。
世界の動きですら、脳が紡ぎ出す演出なのだ。

さらに、脳の一部が損傷すると、世界の半分そのものが消えてしまうことがある。
「半側空間無視」と呼ばれる症状では、患者は右または左半分(左半分のことが多い)の空間をまったく意識できなくなる。目は正常に見えていても、その空間は患者の意識の地図から欠落しているのだ。この現象は、私たちが経験する現実が、脳の内部で構築されたものであることを雄弁に物語っている。

これらは、意識そのものが直接壊れてしまったわけではない。
むしろ、意識という舞台に届くべき外界からの情報が、損傷によって途切れたり歪んだりしているのである。
そして、舞台に届いた素材をもとに〝現実〞を組み立てるのが意識の役割なのだ。
その素材のほとんどは無意識の過程で組み立てられている。

配信元: 幻冬舎plus

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