「ゼウスサンダーが駆けた日」闇金で借りた金は競馬で返済しよう|Z李

「ゼウスサンダーが駆けた日」闇金で借りた金は競馬で返済しよう|Z李

SNS総フォロワー100万人超のインフルエンサーであり作家のZ李さんの新刊『君が面会に来たあとで』が11月19日に発売されました。

歌舞伎町を生きる人々の葛藤や、人情味あふれる人間模様などを恋愛、ホラー、SFなど様々なタッチで描いたショートショート集。本作から、試し読みをお届けします。

 

オークスの1306倍も的中! 作家としてだけでなく、予想師としても大活躍しているZ李さん。

でも、競馬の世界は、勝つか負けるかだけでは語れません。そこに物語があるからこそ、奥深く、面白いんです。

*   *   *

ゼウスサンダーが駆けた日

厩舎の朝は早い。

いや、一般的には朝でもなんでもないか。何せ午前三時で、まだ日も出ていないわけだから。

親のゴリ押しで騎手になってから六年目。騎手と言っても地方競馬、ここ「大井競馬場」の騎手なんだけど、外で言う時は、所属は言わずに“騎手”って言うようにしてる。そうすると勝手にJRAの騎手だと思われて「武豊さんとは仲良いですか?」とか始まるから「話すくらいですね」って言ってみたりする。

実際のところ、干されてるわけではないけれど、そんなに乗り鞍も集まらないし、渋いっちゃ渋いよ。何より、所属してるこの厩舎が財政危機なんだもんな。うちの先生って、金に半端じゃなくだらしないからね。それに、人を見る目がないというか、運が悪いというか。

僕の一番の相棒、ゼウスサンダーの馬主さんも、何が起きたんだか知らないけど、預託料をもう半年近く払ってない。

先生は見切りや損切りってのが、出来ない性格でさ。連絡も取れない馬主さんの支払いを待ち続けながら、何もかも自腹でこいつの面倒をみてるんだ。

「なあゼウス、お前のオーナー、一体どこ行ったん?」

ゼウスは首を傾げるばかりで何もしゃべらない。まあ馬だから当たり前なんだけども。鼻先を軽く撫でると、気持ちよさそうに歯を覗かせてきた。

こいつは、朝イチの空いてる本馬場での稽古が好きで、実際に勝ったことはないけど「重賞勝つ馬ってこういう背中、こういうフォームで走るんだろうな」ってくらいの感じで走るんだ。

本当はゲートも上手いし、すごいスピードで走れる馬なのに、実戦ではそわそわしちゃってほぼ出遅れ。巻き返して馬群に取りついても、周りの馬が気になっちゃって、下がってみたり外に膨らんでみたり、全く能力を出せない。

 

僕が下手だからって説も、もちろんあった。

オフの日に掲示板を見たら「成田がクソだからだ」「ゼウスがかわいそう」って、そんなコメントが並んでいた。むかついて、それからは一切掲示板を見るのはやめた。

いやね、こいつは僕以外が乗ると、もっとひどいから。ゲート遅れるとかじゃなくて、出ないからね、こいつは。

一度、リーディングの森田さんが乗ったんだけど、その時はゲートでお座りしちゃって、案の定大出遅れ。

帰ってきた森田さんは、怒り心頭で先生にキレてた。「アンタこんな馬、よく俺に頼めたな。恥かかせやがって」って。

ゼウスは稽古だと、めっぽう駆けるからさ、すごいタイムも出るし、それを見た森田さんのエージェントが、僕から馬を持って行っただけなのに。

オーナー不在の状態だから、乗り替わりの可否を確認する必要もない。僕じゃなくて森田さんなら勝てるって、先生が思ったのもあったんだろう。

いきなり「次から森田で行く」なんて言われたよ。

次の週には「すまん、やっぱり乗ってくれ」だったけど。

 

馬場で跨ると、ゼウスは今日も抜群の手応えで走りだした。新人の記者が見てる。また“追い切り番長”なんて小馬鹿にされなければいいが。

ただね、次のレースは久しぶりに勝てそうなんだ。こいつが唯一、スタートを決めてくれる可能性のある「大外枠」で、さらに回避が相次いで「小頭数」。

相手もゲートがそう速くなく、普段は後ろ攻めしている馬ばっかりだし、ゼウスが稽古の半分の力でも出せたら、余裕で勝てるはずなんだ。

 

それなのに、厩舎に戻った僕に先生が持ちかけた話は強烈だった。

「オペラ、大事な話がある」

「先生、前も言ったけど、下の名前気に入ってないんで、成田って呼んでください」

成田央平良。生まれた年に、テイエムオペラオーって馬がいて、その年に出走したG1G2、全部勝ったんだって。それで、央平良と書いて「オペラ」。小学校の時にいじられすぎて辛かったから、今でも慣れない。

まあ、重賞バンバン勝つ上位ジョッキーにでもなれば、この名前にも誇りを持てるのかもしれないけど。

「大事な話ってなんすか? 調教の手当なら待ちますよ」

先生が静かに、息を吸う音が聞こえた。思っていた話とは違いそうだった。

「次のレース、負けてくれ!!」

マジかよ。先生が所属騎手に敗退行為を持ちかけるって、まさか。

「借金……きつい闇金だよ。分かるだろ? ゼウスの餌代も、厩舎の光熱費も、もうずっと、俺の自腹だった。組合費も保険も滞納してる。全部、俺の判断ミスだよ。でも、今度だけは負けてくれたら、全部チャラにできる。知り合いの筋が動いてるんだ。ゼウスが四着以下になれば……」

「無理ですよ、そんなの」

記者連中だって、ゼウスサンダーは外枠で絡まれなければ勝てると踏んでグリグリだし、マニア向けの勝負番組みたいになってるんだから、ここで引っ張ったりしたらバレバレだ。

「分かってる。でもな、オペラ。もし駄目なら、俺もう、吊るしかないんだよ。限界なんだ。今朝もロープの結び方、YouTubeで検索した」

先生が泣きながら言うのを見て、俺は頭を抱えた。

正義とか誇りとか、そういうの以前に、だ。どうして僕が、人の命か自分のキャリアかを、選ばされないといけない? そんな土壇場みたいな選択を、どうして僕が?

リーディングなんて夢のまた夢だけど、手応えを感じた年だってあったのに。

それなのに、いくらなんでもそれは。

ゼウスは我関せずという様子で、バケツを鼻先で押しながら僕を見ていた。

 

そして迎えたレース当日。僕がどちらの選択をしたか。結局選んだのは、ゼウスに負けてもらう道だった。

先生の孫、数回だけ厩舎で遊んだことがあってさ。「お兄ちゃん」って指を握られたのを思い出してしまったら、もう無理だった。

ゼウスはゲート裏で落ち着いていた。

「頼む、ゲート引っ張って、ちょっと外に張ってくれ。どうにか抑えて行ってくれ」

先生は乗り役じゃないから分からないんだろうな。こいつはそんな簡単じゃないのよ。

目立たないように拳を裏返して、上体の動きが不自然にならないように引っ張りながらスタートする。

でも、ゼウスは僕のサインとは違う動きをした。

まるで、今までの鬱憤を晴らすかのように、ものすごい手応えで進んでいく。抑えても抑えても、どんどん前へ前へと行こうとする。

2ハロン目までは、引っ張ってるのがバレバレの動きだった。でもそれが不自然じゃないくらい、ゼウスの前進気勢は強く、周りには引っ掛かったと思われていたはず。

「おいおい、やめろって……」

まるで「お前こそ、そんなことやめろよ」とでも言いたげな走りだった。

そして、本当に完璧なタイミングで、ゼウスはいきなりスピードを緩めて息を入れたんだ。仮に僕が勝ちにいったとしても、このタイミングで、緩めていたと思う。

テンでハナにいって、セーフティリードを取ってから、マイペースにして。

「いつか、ゼウスで重賞を勝つならこういう感じだろうな」と、頭の中で思い描いた通りのレース運びだ。

 

そして勝負所。誰よりも早く、誰よりも鋭く、ゼウスは三角過ぎから一気に進出していく。

もう誰も止められない。

気づけば直線は独走状態だった。三角手前から、カメラはゼウスただ一頭を追っている。あとはもう、単独で落馬するしかないというところまできていた。

鐙にかけた足首から力を抜いた。

直線手前、もうここでやるしかないって思ったから。

でも、コーナー出口、重心を左に移して右足を抜こうとした時に、声が聞こえたんだ。いや、聞こえた気がした、と言うのが正確か。

『……オペラ……俺を信じろ』

地味な血統のゼウスが、能力試験の時、とんでもないタイムで一位入選したこと。新馬戦を1.2倍で迎えて、盛大に飛んだこと。パドックで派手に僕を落っことしたこと。色んな出来事が一瞬、脳裏をよぎった。

「一瞬」っていうのはそうだな。直線を向いてから、五完歩くらいの間だから、ええと……馬は一秒で約五~六馬身進むとして……ん? なんだ? よく分からなくなってきたけど、でも本当に、一瞬の出来事。

 

そして、ゼウスは圧勝した。

あまりの圧勝劇に、歓声が上がるタイミングすら遅れていたような気がする。「気がする」というのは、ゴールした瞬間は頭が真っ白で、歓声すらまともに聞こえていなかったからだ。

しばらくして、後ろから馬が来る音が聞こえた。ということは、かなりのぶっちぎりだったんだろう。

 

装鞍所に戻ると先生は泣いていた。

厩務員の吉田くんは、満面の笑みで僕を迎えて、ゼウスの鞍を受け取った。

吉田くん、今日の計画知らなかったからな。先生の涙の意味も分かっていないんだ。

でも、その涙の意味については、僕も勘違いしていたようだった。

「オペラ、俺が間違ってた。お前は胸を張って喜んでいいから。オーナーいないけど、写真撮ろうか」

「いやそんな、だって、ゼウスが勝っちゃって先生やばいんじゃ……首、吊らないでくださいよ! 僕も貯金、全部下ろすから!」

「すまん、ちょっとオーバーに言っていたかもしれん。筋が動いてるってのは、嫁の父親に馬券買ってもらってただけだ。闇金は話せば、ジャンプできると思うんだよね」

「はい?」

後日、厩舎で見たウィナーズサークルでの写真には、すごい顔で先生を睨んでいる僕が写っていた。

闇金が先生の奥さんと娘さんのところにも電話をかけたみたいで、それに焦ってつい、パニックになってしまったらしい。蓋を開けてみたら、本当にしょうもない話だった。

 

そんな一時的なパニックで、よくも僕の一生まで巻き込んで、八百長をやろうとしたなって思うと許せなくて、やっぱり一言文句を言いに行こうと、夕方の厩舎に向かったんだ。

そうしたらさ、先生がゼウスの顔にほっぺた擦り付けて泣いてんの。

「ごめんよ、ごめんよゼウス」って、還暦手前のおっさんが泣いてるんだもんね。

「お前があ、お前が俺を止めてくれたんだ!」

なんかもうどうでもよくなってしまって、ニンジンを洗って、ゼウスに差し出した。

するとゼウスは、あと一センチで指ってところまで一気にくわえて、噛み砕いた。

僕の方を見つめて、むしゃむしゃと、視線はそらさずに。

『言っただろ? オペラ』

そう言われた気がした。

「だから、下の名前、好きじゃないんだって……」

先生が、独り言を呟いた僕を不思議そうに見ていた。

 

中二週で臨んだ次の開催。

「俺たちは酸いも甘いも乗り越えたチームだ。ここも圧勝なのだ」

賞金の高い特別戦に登録した先生のイレ込みっぷりは半端じゃなかったけど、まるで当たり前のようにゼウスは出遅れた。

装鞍所に戻ると先生はまた泣いていた。奥さんの親戚に、ゼウスが覚醒したからって、単勝しこたま買わせていたらしい。

吉田くんに引かれて厩舎に戻る時、ゼウスは大きなボロを出して、立ち止まった。振り向いて僕を見つめ、何か言いたそうな顔をしたかと思うと、ぷいっと顔を戻してそのままスタスタと歩いて行った。

 

「お前よお、あれ乗りこなせるようになったら、一皮剥けるぜ」

帰りがけに、今年百勝目を上げた森田さんに、声をかけられた。

僕みたいな目立たないやつの人生を変えるのは、ああいう馬なんだって、そう言われた。

時間をかけてコンタクトを取って、大きいレースで勝つんだって。

でも、それには並大抵の努力じゃ駄目。どうせあのテキじゃ高いステージには連れてけないんだから、お前が頑張るしかないぜって。

一瞬納得しかけたけど、でも、やっぱり腑に落ちない。

本当に、そうだろうか?

先生はどうしようもないバカかもしれないけど、いつ連絡が取れるか分からないオーナーの馬の面倒をずっとみていて、他から声がかからない僕に、ずっと馬を回してくれてる。

 

『俺たちは酸いも甘いも乗り越えたチームだ』

 

何言ってんだよと思ったけど、やっぱりそうなのかもな。

ヘルメットを脱いで汗だくの髪を掻き上げ、ゼウスを追いかけて、馬房に戻った。

「次こそ頼むよ、相棒」

そう言って鼻先を撫でる僕を見据えたゼウスは、やれやれって顔をしていた。

 

さて、話は飛んで、ゼウスが八歳になった時。最低人気から、年末の東京大賞典で勝つ話があるんだけど。これは文字数の都合で書けないみたい。

いや、あれはすごかったんだよ。

最終追い切りの日に先生の親戚が勢揃いでやって来てね。それを見たゼウスが……。

配信元: 幻冬舎plus

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