時代は昭和。LGBTという概念もなく、男はズボン、女はスカート、ランドセルは男の子は黒、女の子は赤といった固定観念が強かったころ、作者の桜木さんは自分が「女の子」だという認識を持つこと、持たされることに嫌悪感があった。今回は、男性・女性という2つの性別に囚われない性自認を持つ「ノンバイナリー」を描く、桜木きぬ(@kinumanga)さんのWeb漫画『性別に振り回されたわたしの話~1981年生まれのノンバイナリー~』を紹介するとともに「男でも女でもない性別」ノンバイナリーについて詳しく話を聞く。
■自分は「無性別」男でも女でもない性だとわかるまで苦しんだ40年


40歳を過ぎて、突然インターネットで「ノンバイナリー」という言葉を知ったという桜木さん。意味を知り、「これはまさに自分のことだ」と、思ったという。ノンバイナリーという言葉が認知され始めたのは、日本ではここ数年。ノンバイナリーは性自認の幅が広く、「男性と女性のどちらにも当てはまる」あるいは「どちらにも当てはまらない」「男性と女性の中間」「男性と女性を行き来する」などのパターンがある。


しかし、今まで「普通の女」で生きてこようと努力してきた桜木さんにとって、自分がノンバイナリーだと受け入れるまでには多くの時間を要した。「初めは『ノンバイナリー』というものに強い反発を感じていたので、『自分がこれだと思うと嫌な気持ち』というか、『多分これだけど、認めてしまったらまた差別されたりするのかな』という不安はありました。だけど認めずに生きることにも限界を感じていて、つらさがどんどん増して、『これ以上はもう危ないな』と思ったギリギリで受け入れました。最初は『折れた』という感じでした。その後も葛藤はありますが、だいぶ気持ちも体調もマシになりました。どんどん気が楽になっていったらいいなと思います」と、桜木さんは話す。


「ノンバイナリーは身体の性別、性自認、性的指向にさまざまなバリエーションがあります。最近はそのような話題も珍しくなく、比較的ポジティブに語られることが多く感じますが、1981年生まれの私が育った時代はそうではありませんでした」 生まれは、昭和。小学3年生のとき、ジーパンスタイルで登校すると女の子に異常にモテた。すると父に「女の子らしくしろ」「このままじゃろくな人間にならないぞ」と殴られた。親のいう「普通の女の子」として振舞うため、将来の夢は「お花屋さん」「優しいお母さん」「かわいいお嫁さん」と自分の心を閉ざし、嘘をついた。しかし、思春期になると違和感は顕著になる。体が女性になっていくことに対して嫌悪感が強く、絶望する日々が続いたという。


女性の体をしているが、心が女という性を受け入れられない。LGBTでもない、男でも女でもない。どこにも属さないということは「普通」の人にはイメージがつきにくいだろう。「クィアなコミュニティで自分より若い世代の人と話すと、感覚がだいぶ違うなと感じます。もちろん、現在も当事者たちはさまざまな困難を抱えていますが、明るくポジティブな生き方もできるようになってきていると感じます。それは間違いなく社会がよくなっているということなのですが、時々『LGBTQは若者のもの』という声が耳に入り、『いやいや、中年以上にもいっぱいいるよ~。今まで透明になってただけだよ~』と思ってしまいます」今よりもっと理解はされにくかった昔、心を閉ざし、性を隠して生きてきた人は多いだろう。


本作はダ・ヴィンチWeb で人気を博し、完結。「女子」と呼ばれることに違和感を覚え始めた小学生時代から結婚を経て、「男でも女でもない性=ノンバイナリー」と出会った桜木さんの性別に振り回された半生が赤裸々に描かれている。
取材協力:桜木きぬ(@kinumanga)
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