ボッティチェリ《地獄の見取り図》を解説――ダン・ブラウン原作の映画『インフェルノ』とともに

映画『インフェルノ』(2016)

参照:映画『インフェルノ』

映画『インフェルノ』は、『ダ・ヴィンチ・コード』で知られるダン・ブラウンの同名小説を原作にしたミステリー・サスペンスです。世界人口の過剰増加を憂い、人類の半数を滅亡させるウイルスを拡散しようという、天才生物学者バートランド・ゾブリストの恐るべき計画を阻止するため、ロバート・ラングドン教授がイタリア・フィレンツェで奔走します。

作品冒頭、病院で目覚めたラングドンは、直近の記憶を失っている状態。そこから、彼を狙う追手や裏切り者、世界保健機関(WHO)の介入など、錯綜した状況で謎を解いていきます。

1024px-Sandro_Botticelli_-_La_Carte_de_l'Enferサンドロ・ボッティチェリ《地獄の見取り図》(1480〜1495)/バチカン図書館, Public domain, via Wikimedia Commons.

そこで重要な役割を果たすのが、ルネサンスの巨匠、サンドロ・ボッティチェリによる《地獄の見取り図》です。詩人ダンテ・アリギエーリの叙事詩『神曲』の「地獄篇(インフェルノ)」に登場する、地獄の第九圏の構造が視覚化されています。

《地獄の見取り図》は、ゾブリストが残した最初の暗号として登場します。その階層構造に隠されたメッセージを解読することで、ウイルスの在り処へ導かれ、人類の危機を回避するためのタイムリミットサスペンスが展開されました。

《地獄の見取り図》を描いたサンドロ・ボッティチェリとは?

1024px-Sandro_Botticelli_083《東方三博士の礼拝》で描かれた自画像。サンドロ・ボッティチェリ《東方三博士の礼拝》(1475〜1476)/ウフィツィ美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.

サンドロ・ボッティチェリは、初期ルネサンスのフィレンツェ派を代表する画家です。父は皮なめし職人でしたが、金細工師だった兄の工房で初期の芸術教育を受け、1464年頃からフィリッポ・リッピのもとで修行を積みました。その後、アンドレア・デル・ヴェロッキオなどの工房にも出入りし、独自の線描の様式を確立していきます。

メディチ家の寵愛と新プラトン主義

1024px-Botticelli-primaveraサンドロ・ボッティチェリ《春(プリマヴェーラ)》(1480ごろ)/ウフィツィ美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.

1470年ごろに独立し、自らの工房を構えたボッティチェリは、フィレンツェ随一の有力者であるメディチ家に目をかけられ、多くの公的注文に取り組みます。メディチ家周辺の人文主義者や新プラトン主義の影響を強く受け、有名な神話画を数多く残しました。

この時期の代表作が《春(プリマヴェーラ)》や《ヴィーナスの誕生》です。こうした作品は、古代文化とキリスト教思想を調和させようとする、当時の知的な潮流を反映しています。

作風の変化と再評価

1024px-Mystic_Nativity,_Sandro_Botticelliサンドロ・ボッティチェリ《神秘の降誕》(1500〜1501)/ナショナル・ギャラリー, Public domain, via Wikimedia Commons.

1492年、メディチ家にとって最盛時の当主を務めた、ロレンツォ・デ・メディチが死去します。そして一家の腐敗を批判し、神権政治を展開した、ドメニコ会修道士ジロラモ・サヴォナローラにより、フィレンツェの文化・政治情勢は一変します。

ボッティチェリの作風もまた、華やかな神話画から、《神秘の降誕》に代表される神秘主義的な宗教画へと変化しました。このころから作品の評価が下がり、1501年ごろには制作活動を停止。約400年間、忘れられた画家となりますが、19世紀末のイギリスでラファエル前派に注目され、ようやく名声と業績が世界的に再評価されました。

配信元: イロハニアート

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