39歳で乳がんが発覚し摘出手術をしたお笑い芸人・ダンカンさんの奥様。その数年後に、突然訪れた乳がん再発。肝臓、そして脳へと転移が進み、奥様は過酷な治療と向き合うことになります。それでも最後まで家事を続け、家族には変わらぬ笑顔を見せ続けたと言います。「支えていたつもりが、支えられていた」と振り返るダンカンさん。部活帰りに毎日こっそり病院へ通った息子・虎太郎さん。家族が語る闘病の現実に触れながら、自分の乳房を意識するブレストアウェアネスと早期発見・早期治療の重要性について、日本乳癌学会認定乳腺専門医の日馬先生に詳しく伺いました。
※2025年11月取材。
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ダンカン(お笑い芸人)
1959年1月3日生まれ、埼玉県出身。1983年にビートたけし率いる「たけし軍団」に加入。それを機に芸名を「ダンカン」に改め、お笑いタレントとして広く知られるようになる。テレビや映画、舞台など多方面にわたり存在感を示している。2014年6月には、最愛の妻を乳がんで亡くし深い悲しみを経験。グリーフケアを経て現在は家族との時間を何よりも大切にしながら、心の支えを胸に日々の活動を続けている。
虎太郎(俳優)
1998年12月18日生まれ、東京都出身。父はダンカン。日本テレビ「踊る!さんま御殿!!」、テレビ東京「ドラマスペシャル『あまんじゃく 元外科医の殺し屋 最後の闘い』」、YOUTUBEドラマ「THE BAD LOSERS」、舞台「時を超えた愛の歌」などに出演。趣味は釣り 、写真を撮ること、ドライブ。特技は野球。
日馬弘貴(日本乳癌学会認定乳腺専門医)
日本外科学会認定外科専門医、日本乳癌学会認定乳腺専門医、検診マンモグラフィ読影認定医(AS)、がん治療認定医。2010年、東京医科大学卒業、2012年、関西ろうさい病院外科レジデント、2015年、大阪大学大学院 入学、2019年、大阪大学大学院 博士号取得、2019年、大阪国際がんセンター 診療主任。2023年4月から東京医科大学乳腺科助教。正しい医療情報を、わかりやすく伝えることをモットーにしている。
再発・脳転移で再び乳がんとの闘いに… 乳がん闘病の過酷な現実
日馬先生
乳がん手術後の奥様の経過について教えていただけますか?
ダンカンさん
手術のあと、主治医からは「5年の間に再発がなければ、完治したと考えていいでしょう」と説明されました。ところが、3〜4年目に入る頃に再発し、肝臓などリンパを伝って転移していることがわかりました。そこでまた新しい抗がん剤を使って、がんと闘っていくことになりました。
日馬先生
乳がんは全体としては進行が比較的遅いがんとされますが、初期の乳がんでも発症後2〜3年の間に再発しやすいという特徴があります。また、10年目以降に再発することもあり、長く付き合っていく必要のある病気だと言われています。
虎太郎さん
転移していたということも、僕は後になってから知らされました。最初は両親の間だけで話していて、手術もして良くなったと聞かされていたので、ずっと安心していました。その時、僕は中学2〜3年生くらいでしたが、母はつらい様子を一切見せず、いつも通りみんなと接していたので、本当に良くなったのだと思っていました。
日馬先生
その後、さらに転移が進んでいったのですね。
ダンカンさん
最後の半年くらいは、脳にも転移していました。脳神経外科の先生で個人的に知っている方がいて、「ガンマナイフという治療をやってみますか」と提案してくださったのです。ピンポイントでレーザーを当てる治療を受けたのですが、相当つらそうでした。その様子を近くで見守ることは、本当に言葉にならないほどつらい時間でした。
日馬先生
ガンマナイフは、脳転移に対して広く用いられている代表的な治療法の1つです。副作用の強さは場合によって異なりますが、奥様は強く出てしまったのですね。とても過酷な治療を受けながらも、奥様は気丈に闘病を続けておられたのですね。
ダンカンさん
妻が一番恐れていたのは、死ぬことそのものではなく、朝目覚めたときに脳に異常が起きて、自分がずっと大切にしてきた子どもの名前を忘れてしまったり、「この人誰?」となってしまったりすることでした。それだけはなりたくないという思いで、その治療を選んでいました。
日馬先生
脳転移は転移を起こした部位によって症状が変わります。主に麻痺や呂律が回りにくい、今までできていたことが急にできなくなるなどの症状が出ますが、治療により特に生活に影響はない方も多いです。急にご家族の記憶が抜け落ちるということはまれですが、その不安は理解できます。
ダンカンさん
乳がんの5年生存率はどのくらいなのでしょうか?
日馬先生
初期に見つかった場合、5年生存率は90%以上です。一方で、すでに遠隔転移を起こしてしまった場合の5年生存率は、おおよそ40%とされています。医療者の感覚からすると、現在の5年生存率はもう少し高いように思えます。昔と比べて大きく改善してきた数字ですが、患者さんやご家族にとっては、やはり厳しい現実だと思います。
虎太郎さん
再発する確率はどのくらいなのでしょうか?
日馬先生
ステージやサブタイプによって再発率は異なりますが、治療の進歩によって現在はかなり下がってきています。転移しやすい部位は主に骨・肺・肝臓です。サブタイプによっても多少異なり、HER2陽性やトリプルネガティブは、脳転移を起こしやすい傾向があります。
虎太郎さん
僕は母の体調が少しずつ悪くなっていく姿を、知らず知らずのうちにずっと見ていました。
ダンカンさん
入学式には一緒に行けたのですが、虎太郎が高校1年生の頃、妻は少しの間入院することになりました。
虎太郎さん
高校に入ってすぐ野球部に入ったのですが、家族にも誰にも気づかれないように野球の練習を途中で抜けて、毎日病院に面会に行っていました。良くなっているのか、そうではないのか、ずっと葛藤しながら通っていました。
「支えられていたのは私たち」闘病中の妻の姿とダンカン親子が今伝えたい想い
日馬先生
闘病中、奥様を支えるために何か工夫はされていましたか?
ダンカンさん
正直、支えていたというより「支えられていた」という感覚のほうが強いです。妻は生活スタイルをほとんど変えませんでした。相変わらず朝早く起きて、子どもたちのお弁当も全部自分で作っていました。一度も手を抜いたところを見たことがありません。野球の練習が遅く終わったときは、翌朝の朝練用のユニフォームを手洗いしてくれていました。それも夜遅くまでやって、「この人はいつ寝ているんだろう」と思うくらいでした。そんな生活を、病気になる前と同じように続けていたので、むしろこちらが気持ちの面で支えられていたんです。
虎太郎さん
僕は正直、自分のことで精一杯でした。母が僕にあまり余計なことを考えさせないようにしてくれていたのだと思います。病気がわかる前と同じ生活をできるだけ続けてくれていたので、小学校の頃からの延長線上のような感覚で過ごしていました。「支える」というより、普通に日常を送っていた、という感じですね。
ダンカンさん
妻は本当に芯の強い人でした。だからこちらがあまり同情を表に出すと、逆に妻の心が折れてしまう気がして、僕はできるだけ今まで通り変わらない振る舞いをすることが一番いい選択だと思って行動していました。ただ、今振り返ると「もっと弱音を吐いてくれたら良かったのに」と思うところもあります。そうしてくれていたら、みんなでもっと助けてあげられて、こちらの後悔も少なかったのかもしれません。
日馬先生
本当に強い奥様だったことがお話から伝わってきます。奥様との関わり方は間違っていなかったんじゃないかと思います。ご家族以外からの支援はどうでしたか?
ダンカンさん
周りの人たちからの支えは、とても大きかったです。乳がんを経験されている山田邦子さんも連絡をくださって、いろいろなお話をしてくれました。「おっぱいを取っちゃっても大丈夫よ。今は手術で豊胸もできるから」と、明るく言ってくださっていました。いまだに命日にはお花を贈ってくださいます。近所の友人や虎太郎の野球関係の方々も含めて、本当にたくさんの人に励まされました。
日馬先生
本当に強い奥様であり、お母様だったのですね。ダンカンさんや虎太郎さんの気遣いもきっと届いていたのではないかと思います。一般的な医療のサポートとしては、がん相談支援センターという窓口もあり、患者さんご本人だけでなくご家族だけで相談に行くこともできます。専門の相談員が、気持ちの面のサポートや利用できる公的制度についても一緒に考えてくれます。
ダンカンさん
そういう窓口があるなら、もっと早く知っておいて、使っていれば良かったですね。
日馬先生
そうですね。制度や国・自治体のサポートは、病院から案内されることもありますが、知らないとどうしても活用しきれません。また、治療費に関しても新しい薬は非常に高額になることがありますが、高額療養費制度という仕組みがあり、年収に応じて自己負担の上限額が定められています。まずは知ることが大切で知っていれば選択肢が広がります。
ダンカンさん
ある朝、妻の体調が優れなかったときに、虎太郎の弁当が必要だったので僕が初めて弁当を作ったことがありました。横になっている妻に「こんな感じでいいかな」と見せたら、「パパにできるんだ。だったらもう安心だな」と言われて。その言葉を今もはっきり覚えています。今振り返ると、もしかしたらそれで安心してしまって、気持ちが少し途切れてしまったのかなと考えてしまうこともあります。
虎太郎さん
本当に最後まで強い母だったなと、今振り返っても思います。
日馬先生
辛かったとは思いますが、安心できたことは奥様にとって良かったことだと思います。気持ちの面については病状にもよりますが、私は乳がんを発症しても可能であれば仕事をすぐに辞めないことをお勧めしています。誰かに必要とされていること、社会とつながっている感覚は精神的に大きな支えになりますし、仕事をしている時間は病気のことを忘れられるという意味でもプラスになることが多いからです。
ダンカンさん
時間がある程度痛みを和らげてくれる部分はありますが、正直なところ根本的な心境は今もあまり変わりません。「あの時もっとこうしてあげればよかった」「なんでもっと早く気づけなかったのか」「最後の時間を、もっと別の過ごし方もできたのではないか」と、今でも考えてしまいます。だからこそ、皆さんには残された人たちのことも含めて考えて、早期発見のために検査に行ってほしいと強くお伝えしたいです。
虎太郎さん
両親がそろっている人には、ぜひ親を大事にしてほしいと思います。母はとても強い人でしたが、それでも何か手を差し伸べられた部分があったのではないかと、今でも考えます。「何もなかった」という結果を得るために、予防や検診に向き合ってほしいです。がんは本人も家族も傷つきますし、不安やつらさも大きいです。お金はかかりますが「何もないことを確認するため」に検診に行ってもらえるとうれしいです。
日馬先生
早期発見・早期治療が本当に何より重要です。40歳以上で乳がん検診を受けたことのある女性は、まだ全体の4割程度と言われています。定期的な検診と、日頃から自分の体に関心を持つこと、この2つを意識していただきたいです。近年はブレストアウェアネスといって、自分の乳房の状態を普段から意識する生活習慣が推奨されています。入浴時などに、自分でしこりがないか、左右差や皮膚の変化がないかを気にかけることが早期発見の第一歩になります。
虎太郎さん
母の闘病は家族にとってもつらい時間でしたが、母から学んだことは計り知れません。この経験が、誰かの役に立つことを心から願っています。検診を受けることをためらわず、自分の体を大切にしてほしいです。それが自分自身だけでなく家族を守ることにもつながると思います。
ダンカンさん
妻は最後まで、家族のために強くいてくれました。月命日には、虎太郎と2人で一度も欠かさずお墓参りをしています。その姿を忘れずに、多くの方に「検診を受けることの大切さ」を伝えていきたいと思います。

