不健康寿命が延び、ムダな延命治療によってつらく苦しい最期を迎えることへの恐怖が広がる今、「長生きしたくない」と口にする人が増えています。先行き不透明な超高齢化社会において、大きな支えとなるのが、元外科医で2000人以上を看取ってきた緩和ケア医・萬田緑平先生の最新刊『棺桶まで歩こう』です。
家で、自分らしく最期を迎えるために、何を選び、何を手放すべきか。本書から、一部をご紹介します。
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「80歳の壁」を超えるなんて恐ろしい
僕にとって80歳まで生きることは、今一番のリスクです。70歳で死んでもいい、60歳でもやむなしです。80歳まで生きるほうがよほど怖いのです。
医者が言うことではないと思うのでしょう、こう話すとよく「えっ、なぜ?」と訊かれます。
なぜか。答えるとすれば、僕は知っているからです。長生きした結果、どういう人生があるかということを──。
たくさんの高齢者を見てきて、今の自分の記憶力などを考えると、80歳くらいになったらかなりまずい状態だろうとわかるのです。だから、80歳まで生きるわけにはいかないなと思う。
健康診断ももちろん、人間ドックなどは受けません。病気にかかっていても別にいいし、気がついた時には「もうダメ」だと言われてもかまわない。
健康によいことを一所懸命して、長生きしたいなんて、僕にとってはとんでもなく恐ろしいことです。
たとえ生きていたとしても、認知症になったら自分のやりたいこともできない。身体も動かない。
「80歳超えて元気な人もいっぱいいますよ」と言う人は多いです。もちろんそういう方もいますが、少数派です。多くの「元気じゃない」高齢者は施設か病院にいるから目に入らないだけ。一度みなさん、施設にいる高齢者を見てみればいいと思います。
最初は家族が訪ねて来るけれど、週1回が一週おきくらい、だんだん月に1回になり、そのうちたいてい来なくなる。でもその頃にはもう本人は、家族の顔もわからなくなっているわけです。一日中ぼーっとしているだけで、はたして幸せでしょうか。
みなさん、街やテレビなどで元気な高齢者だけを見て「長生きしたい」と思い、健康、長生き、健康、長生きの大合唱です。雑誌やテレビも、「身体にいいこと」の特集ばかり。
けれど、長生きする日数の長さではなく、いつ死んでも悔いがない生き方ができているかこそ、肝心なのではないかと思います。
成功者、金持ちほど寂しく死ぬ?
仕事柄、たくさんの看取りをしてきました。最終的に確信したことは、「生き方は死に方に出る」ということです。
企業の経営者であったり、社会的に成功した人というのは、どうしても「俺のやり方が正しい」という自信がある。だから「おまえ、こうしろ」と、簡単に言ってしまいがちです。部下、後輩に対してもそうですし、家族に対してもそうなる。「こうしろ、ああしろ、違うだろう」と言われ続けてうれしい人間なんていませんから。結局みんなに嫌われるわけです。
仕事をしているうちはまだいいけれど、仕事を引退したら、もうみんな離れていくのは当然です。
奥さんの買い物などについて行けば、「そうじゃない、こうしろ」とまたなる。子どはもちろん、命令ばかりする父親と一緒にいたいわけがありません。
友だちをつくろうとしても、「俺は会社の社長だった」という話しかせず、上から目線だから、誰からも好かれるわけがない。利害関係があったから従っていただけなのに。
孤独な独裁者です。そういう人に限って、たいていお金でなんとかしようとします。すると認知症になったり、死にそうだというとき、お金でつながっている家族しか来ません。
そして、面倒をみたほうが遺産が多くなると考えるから、子ども同士が争うことになります。実際に聞いたこんな話がありました。
長女が父親を施設に入れようとする。なぜかと言えば、次女が父親の面倒をみると、次女に遺産が多く渡ってしまうからだというのです。つまり施設に入ってくれれば姉妹平等だというわけで、あまりの理由に愕然としました。
もちろんすべてではありませんが、成功した人、裕福な人ほど寂しい亡くなり方をすることが多い気がします。
傍目にはどんなに寂しい亡くなり方でも、本人が「俺は成功したんだ、社長だ、お金もある、偉いんだ」と言いながら死んでいく人もいます。「俺は満足だ」と思い込んで死ぬのですから、それはそれでいいのでしょうが。
女性で、こうした「成功者タイプ」だと、子どもが大人になっても何かと命令し、孫の育て方にまで口を出すというパターンがあります。子どもにとっては「いいかげん、もう関わらないで」と言いたくなる。高齢になって、子どもから絶縁された母親もたくさん見てきました。


